「ねぇ、貴方ってブラックコーヒー飲めないんじゃ?」
毎回品種はマンデリンに、必ず角砂糖を11個入れる貴方が、何でもない顔をして角砂糖一つも入れずブラックコーヒーを飲みながら、夜明けの空を窓越しに見つめている。
「あぁ、本当だ。ブラックコーヒーだ」
「……本当だ、って貴方十日間便が出ていないからって頭にまで支障が出たのね」
「わぁ、なんでそれを知ってるの?慢性的便秘だけどここ最近はやけに出ないんだ。しばらく自分の糞を見てないから、どんな色だったか忘れちゃったよ。恋しいな」
微かに目頭に力が入ったのを、私は見逃さない。
苦しい時に無意識に出る貴方の癖。
苦しむくらいなら、下手な嘘を並べなければ良いのに。
あんなこと、しなければよかったのに。
「彼女を殺害したのは貴方でしょう」
「……どうして?」
目頭に筋が浮かぶ。
静かにブラックコーヒーを喉に通すけれど、随分とその喉は乾いているようね。
この男は本当に馬鹿だ。
「何となく?」
「何となくって…これで違ったらとんだ濡れ衣だよ。まぁ、君のその何となくの信憑性は異常だって僕はしみじみ思うよ」
「……」
ほら、また。“苦しい”
終始変わらない顔色は、私の見る貴方と違う。
「平気になったみたいだ」
「何が?」
「ブラックコーヒー。苦味なんてもう分からないや」
「……馬鹿ね。ブラックコーヒーの良いところを失うなんて」
「はは、今ならミルクチョコレートを食べてもあの軽い甘さが分からないかもしれない。ところでブラックコーヒーは後味が随分と爽やかだ」
「マンデリンなんて趣味の悪いのを飲むからよ」
「君はブラックコーヒーをいつも飲んでいるけど、ブラックコーヒーってどこか君に似てるよ」
「貴方も大概マンデリンに相応しい人間ね」
「…ふはっ」
ほら、また。
—-side
「ねぇ、貴方ってブラックコーヒー飲めないんじゃ?」
一人の部屋で誰かに話しかけられ、そちらをゆっくり向く。
その静かな深い声質は僕の鼓膜の表面に浸透した。
彼女は気づいたらいる。
閉じたはずの扉。だけど彼女はこの部屋の中で、閉まった扉の目の前に居る。
そこに気配も何も無い。
“いつからそこに居たんだい?”こんなようなつまらない質問、きっと君は嫌がるだろうし、今更動じたりなんてしない。
「あぁ、本当だ。ブラックコーヒーだ」
「……本当だ、って貴方十日間便が出ていないからって頭にまで支障が出たのね」
「わぁ、なんでそれを知ってるの?慢性的便秘だけどここ最近はやけに出ないんだ。しばらく自分の糞を見てないから、どんな色だったか忘れちゃったよ。恋しいな」
固唾はどこかにへばりついて、飲み込めすらしないでいる。
「彼女を殺害したのは貴方でしょう」
「……どうして?」
彼女が今、僕の目の前に現れたんだ。
彼女に隠し事なんて通用しないことは分かりきっているし、最初からこのことで来たのは分かっていた。
「何となく?」
「何となくって…これで違ったらとんだ濡れ衣だよ。まぁ、君のその何となくの信憑性は異常だって僕はしみじみ思うよ」
「……」
蛇のように音が無く、恐ろしく鋭いその眼は、僕の眼は見ていない気がする。もっと、その奥を。
まるで彼女の獲物かのように、固まってしまう。
一挙手一投足、一字一句を見逃さず見る彼女。
僕自身ですら知らない暗がりを、君は知っている気がする。
彼女が本当に蛇ならば、神経毒を持っているだろうな。
時折感じるこの何か違う視線は、その鋭い歯に噛みつかれて神経が麻痺する感覚だ。
浅い一息で言う。
「平気になったみたいだ」
「何が?」
「ブラックコーヒー。苦味なんてもう分からないや」
「……馬鹿ね。ブラックコーヒーの良いところを失うなんて」
「はは、今ならミルクチョコレートを食べてもあの軽い甘さが分からないかもしれない。ところでブラックコーヒーってのは後味が随分と爽やかだ」
「マンデリンなんて趣味の悪いのを飲むからよ」
「君はブラックコーヒーをいつも飲んでいるけど、ブラックコーヒーってどこか君に似てるよ」
繊細な花で彩られたカップ。中身の動きのない黒さを見つめた。
話しているうちにすっかり冷え切っている。カップの陶器に薄ら映る自分の顔は、どこか他人のようだ。
「貴方も大概マンデリンに相応しい人間ね」
「…ふはっ」
そんな別れの言葉は、あまりに彼女らしくてつい笑ってしまう。
僕は夜逃げする。遠い、遠い国へ。
でも君にはまた会える気がする。それはきっと何でも無いような場所で、どことない時で、また会うんだろう。
そうして一言や二言を交わせば、またすれ違っていくんだろう。君はきっと、そういう人だから。
3/2/2025, 2:52:19 PM