耳元で鳴り続ける、スマホのアラーム音で目が覚めた。
廊下の向こうからは、既に起きて活動している両親の、ぱたぱたと動き回る物音も聞こえてくる。
反射で、「起きなければ」と意識は働けども、まだ頭はぼうっとして、おまけに気まで重くてすぐに動く気力が湧いてこない。
困ったな。この億劫さ、顔を洗えばマシになるのだろうか。
気後れする体に鞭打って、何とか布団から這い出て立ち上がる。
そうして気分が乗らないまま、のそりのそりと洗面所までの廊下を移動した。
蛇口をひねって、飛び出し跳ねる水音が煩わしい。
ばしゃばしゃと顔を洗って鏡と向き合った。
――駄目だ、すっきりしない。
冷えた水温に気持ちよさは感じても、どんよりとした気分は変わって来なかった。
じゃあ、あとはどうしよう。
お気に入りのコーデで決めたなら、テンションも上がってくるのだろうか。
部屋に戻って、クローゼットと箪笥の間を行ったり来たり。
さあ、お洒落の武装を。勿論、職場のルールで許される範囲内で。
あれこれ迷った末に着替え終わって、「どうだ!」と気合いを入れて姿見の前に立ってみた。
――けれども、残念。
まだ、もやもやは晴れて来やしなかった。
こうなったら仕方がない。奥の手を使おう。
ダイエットのため、最近は封印していた好物の卵焼きを解禁にするか。
ずっと我慢していたし、今日は特別。
仕事の頑張りと、続けたダイエットのご褒美として、朝ご飯に食べて行こう。
そうすればきっと、大丈夫。
フライパンにごま油を敷いて、卵液には和風だしも入れて。少しだけピザチーズを混ぜ込めば、お気に入りの味の完成だ。
じゅわっと焼いて、久しぶりの香ばしい匂いがキッチンに充満した。
食欲も上がって気分も上々。
――そのはずだったのに。
「どうして」
上手に焼けた卵焼きの、最後の一口を食べきって。
遂に、ぽつりと不安が言葉に漏れてしまっていた。
どうしよう。今日は平日。
当たり前のように仕事がある日なのに、気分がどうしても上がってこない。
それどころかもやもやの違和感は広がって、とうとう頭まで痛くなってきた。
万策尽きて、ふらふらと考えがまとまらないまま。
頭痛薬と、一緒に吐き気止めも飲んで席を立った。
あとは――あとはもう、どうすればいい。
好物を食べても心が重いまま動かない。
知らぬ間に色を失っていた私の世界。
今更になってやっと気が付いた。
こんなにも、私は追い詰められていたのか、と。
きつくなる一方の職場の状況に、また一人、また一人と同僚たちは去ってゆく。
残された数人でこなす業務はとてもハードで、連日残業の上に帰りも遅い。
仕方がない。やるしかない、と。
それらを笑って引き受けやり過ごして。
もやもやする気持ちにずっと蓋をして誤魔化して来た。
けれどもそれも、もはや限界のようだ。
弱り切った自分の心に気が付いてしまったら、今までのような知らぬ振りはもう出来なかった。
「えっ! ちょっと、あんたどうしたの!」
「お母、さん」
庭から家の中へ戻ってきた母が驚いて声を上げた。
無理もない。
通勤鞄を抱えたまま、何処へ向かうともなくぼうっと廊下に立ち尽くして。
私はぼろぼろと泣き腫らしていたのだから。
「お母さん、私、もう、会社に行きたく、ない」
大の大人が、我が儘みたいに恥ずかしい。
けれどもどうか、叱らないで。
これがやっと。
やっと初めて口に出せた、私のSOSなのだから。
(2025/09/29 title:086 モノクロ)
9/30/2025, 9:58:39 AM