"終わらせないで"
──〜♪…
夕食も、シャワーも済ませた後、フルートを出して軽くワンコーラスを演奏する。
フルートを持ったのは久々だ。最近はやる事が多く、フルートを吹くどころか、触る暇すらなかった。
──良かった。音、最後に吹いた時と変わってない。
息をフルートの中に送り込んで音が出るまで心配していたが、杞憂だった。相変わらず、奏でているこっちがうっとりしてしまう程綺麗で伸びやかな音色。
ここまで触らなかったのは久方ぶりだ。けれど『音色が変わったんじゃないか』という心配は、フルートをもう一度触ったあの時には無かった感情。
──こんな俺でも、まだまだ変われるんだな。
曲の最後の一音を奏でて、フルートを離す。机の上に、開きっぱなしにして置いていたケースの中からクロスを取ろうと手を伸ばした時。
「みゃあ」
ケージの中にいた子猫が、開け放っていた扉から外に出て、足に擦り寄りながら鳴いてきた。
「みゃあん!」
「うおっ」
俺の顔を見上げて一際大きな鳴き声を上げ、驚いて少し身を引く。
──『止めんな』って言ってんのか…?
不思議そうに子猫と目を合わせる。そして数秒後、口角を上げる。
──俺も、吹き足りねぇ。
再びフルートを口に当てて、吹く体勢を作る。
そして、先程とは別の曲を吹く。ワンコーラスだが、軽くではなくしっかりと。そして先程より吹きごたえがある曲を選んだ。
ちらりと横目で子猫を見ると、座ったまま動かず、大人しく聴いている。
──小さくても、綺麗な音は静かに聴きたいんだな。
猫は聴覚が人より優れているから、俺の奏でる音がどう聞こえているのか分からないが、少し嬉しい。
──なら時間が許す限り、たくさん吹いてやる。調子に乗るなんて柄にもないけど、俺だってたまにはいいだろ?
そして本当に、時間が許す限りたくさんの曲を演奏した。
時計を見て、慌ててフルートをケースに仕舞ってベッドの中に滑り込むように入ったのは、それから数時間後の話。
11/28/2023, 12:51:29 PM