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 昔々、あるところに大層元気な男の子がおりました。
 男の子の名前は、寿限無 寿限無 五劫のすりきれ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末 食う寝るところに住むところ やぶらこうじのぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの 長久命の長助(以下 寿限無)という名前でした。
 寿限無は、心配性の親から健やかに育つようにと、縁起のいい名前をこれでもかと付けられましたが、その甲斐あって特に不幸もなく大きく育ちました。

 病気もせず、友人にも恵まれ、近所の大人たちからは可愛がられる……
 寿限無は幸福な子供時代を送っていました。
 ですが、ついに運命の時が来てしまいました。
 親にとって、子育てで最も過酷な試練――

 『反抗期』です。

 寿限無は、あまりにも長すぎる名前を恥ずかしく思い、親に愚痴ったことを皮切りに、親と喧嘩してしまいました。
 親子喧嘩は一晩経っても収まることは無く、それどころか更に悪化します。
 翌朝も、寿限無は親と喧嘩し、用意された朝ご飯を感情のままりひっくり返してしまいました。
 それを見た母親は『食べ物を粗末にするやつはウチの子じゃない』と言って、家から追い出します
 寿限無も、『もう帰らない』と言って、そのまま旅に出ることにしました。

 寿限無は特に行く当てもなく、そのことに不安もありました。
 しかしそれ以上に、親にあれこれ言われずに済むと清々しい気持ちでした
 ですが、寿限無は着の身着のまま出てしまったので、何も持っていません。
 お金も持っておらず、腹が空いても何も食べることが出来ません。

 このまま家に戻り、親に謝る選択肢もありましが、寿限無はそうしませんでした。
 彼は体は大きくなったとはいえ、まだ子供。
 このまま帰ってはバカにされるだけだと、プライドが邪魔をしてそのまま旅を続ける事にします。

 『その辺の木の実でも食うさ』
 寿限無はそう思って歩き始めますが、全く木の実が見つかりません。
 その日のうちに、寿限無は空腹のあまり動けなくなってしまいました。
 絶体絶命の危機でしたが、神は寿限無を見捨てませんでした。

 たまたま付近の村の人間が、寿限無のそばを通りかかったのです。
「そこの若いの。
 腹が減っているのなら、ウチで食べていくかい?」
 寿限無は朦朧とする頭で神に感謝しつつ、村人の好意に甘えることにしました。

 寿限無は、村人の質素な家に案内され、目の前にご馳走が並べられます。
 これほどのご馳走は、自分の家でも食べたことがありません。
 寿限無は並べられる端から、どんどん食べました。
 食べて食べて食べまくります。

 寿限無の食べっぷりに、村人はこの量では足りないと判断し、村の人々に呼びかけ食料を集めました。
 食べ物はどんどん並べられ、寿限無はどんどん食べていきます。

 たらふく食べた寿限無は、ようやく落ち着きます。
 『こんなに食べさせてくれたんだ。
 お礼を言わないと』
 そう思って寿限無は村人と向き直りますが、驚きました。
 村人の体が、枯れ木の様にやせ細っていたからです。
 普段から食べ物を食べていないことは明白でした。

 そこで寿限無は気づきました。
 彼らは自分たちが食べるための食べ物を、寿限無に食べさせてくれたのだと……
 その理由を尋ねると、村長が事情を話し始めました。

「実はこの村は鬼に襲われているのです。
 鬼は頻繁にこの村に来て、食べ物を奪っていきます。
 そのせいで我々は食料があまりありません」
「待ってくれ。
 では私が食べたこの料理は……」
「はい、鬼のために用意したものです」
「しかし、私が食べてしまった。
 それでは鬼が暴れるのではないか?」
 寿限無がそう言うと、村長は困ったように笑います。

「はい、暴れるでしょう。
 しかし気にしないでください。
 確かにあなたが食べた食事は、鬼のために用意したもの。
 ですが鬼に食べさせるつもりはありませんでした」
「どういうことだ?」
 寿限無は訝しみます。
 鬼のために用意したのに、鬼に食べさせないとはこれ如何に?

「鬼について、ずっと村で話し合いが続けられていました。
 少し前に出た結論は『村を捨てて逃げる』。
 どうせ村を捨てるなら、鬼の機嫌を伺っても仕方がない。
 最後にたらふく食べて逃げよう。
 そう思っていたところに、腹を空かせたあなたが現れたのです」
「そうとは知らず、私は食べてしまった。
 申し訳ない」
「いいのです。
 天の導きだと思い、あなたに食べさせたのです。
 最後の最後に人助けが出来て我々は満足です。
 お腹いっぱいに食べるのは、今でなくてもいいのですから」
 村長が清々しい笑顔を見せました。
 それを見て、寿限無は嘘ではないことを悟ります。
 しかし、寿限無は村の人々に恩を受けたのも事実。
 なんとか恩返しをしたいと思いました。

「では私が鬼を追い払って見せよう」
「若い人、おやめなさい。
 鬼は力が強く、並みの大人では太刀打ちできません。
 いかに勇敢とはいえ、とても勝てますまい」
「だが私には秘策がある。
 恩返しをさせてくれ」
 寿限無は村長の目をじっと見つめます。
 しばし見つめ合った後、根負けしたのは村長でした。

「分かりました。
 そこまで言うならお任せしましょう。
 我々は隠れて見ています
 しかし鬼は残酷で狂暴です。
 危なくなればすぐ逃げてください。
 命以上に大切なものはありません」
「ああ、命を粗末にするつもりはない」
 寿限無は鬼を退治するため、その日は村に留まり、鬼を待ち伏せるのでした。

 翌日の昼、何も知らない鬼が腹を空かせてやってきました。
 ですが、いつもは用意されている食事が無い事に気づき、腹を立てます

「ええい、村の人間は何をしている。
 俺の食事が無いぞ」
 鬼は近くにあった家をこん棒で壊します。
 ですが、村の人間が誰一人出てこないことに、鬼はおかしいと思い始めました。
 そのときです。
 物陰から寿限無が出てきました。

「やい、鬼め」
「なんだ貴様。
 見たことないな。
 まあいい、食べ物持ってこい」
「食べ物はない。
 私はお前を退治しに来た」
 寿限無の言葉に、鬼は鼻で笑います。
 鬼は自分の力に絶対の自信がありました。

「なんという無謀さ。
 お前の名前は何だ?
 家族全員ひどい目に会わせてやる」
「やめておけ。
 お前に、私の名前を覚えることなどできぬ」
 今まで笑っていた鬼が、急に険しい顔をします。
 弱っちい人間が、自分の事を馬鹿にしたからです。

「何を言う。
 俺は鬼だ。
 出来ないことなどない」
「では名乗ってやろう。
 よく聞くがいい!
 私の名前は『寿限無 寿限無 五劫のすりきれ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末 食う寝るところに住むところ やぶらこうじのぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの 長久命の長助』である」
「……は?」
 鬼は口をぽかんと開けて、呆然としました。
 その様子を見て、寿限無は鼻で笑います。

「なんだ言えんのか。
 鬼も大したことは無い」
「バカにするな。
 名前なんぞ、簡単に言えるわ!
 えっと、寿限無 寿限無 ゴボウの擦り切れ――」
「五劫(ごこう)のすりきれだ」
「――五劫のすりきれ怪獣水上――」
「海砂利水魚(かいじゃりすいぎょ)だ。
 なんだ全く言えんではないか」
 寿限無の言葉に、鬼の赤い顔はさらに赤くなります。

「黙れ。
 お前を食ってやる」
「名前も分からん奴をか?
 先ほどの家族にひどい目を合わせると言うのは嘘だと言うのか?」
「ええい。黙れ黙れ」
「名前を覚えきれないようなら、もう一度言ってやろう。
 私の名前は、『寿限無 寿限無 五劫のすりきれ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末 食う寝るところに住むところ やぶらこうじのぶらこうじ パイポパイポ パイポのシューリンガン シューリンガンのグーリンダイ グーリンダイのポンポコピーのポンポコナーの 長久命の長助』である。
 もう一度言おうか?」
「ふん、不要だ。
 その珍妙な名前、二度も聞けば覚えられるわ」
「ほう、では言ってみるといい」
「寿限無 寿限無 五劫のすりきれ 海砂利水魚の水行末 雲来末 風来末 食う寝るところに住むところ やびゅ」
 鬼は、寿限無の名前を言っている最中に舌を噛んでしまいました。
 痛さのあまり、鬼はその大きな体を悶えさせ、体勢を崩しその場に転んでしまいました
 そうして鬼が怯んだ隙に、寿限無は村人から借りた刀を抜き放ちます。
 その様子を見て鬼は叫びました。

「待て、何をする」
「分からんか?
 お前を切るためよ」
「ひいい、待ってくれ。
 俺が悪かった。
 謝るから、命だけは!」
「ならん!
 食べ物の恨みは恐ろしい事は知っているだろう?」
「なんでも言うことを聞くから許してくれ」
「もう村を襲わないな?」
「ああ、約束する」
「食べた分、村をために働くか?」
「一生懸命働きます。
 ですから命だけはお助けを!」
「嘘はないな?」
「はい、神に誓って」
 寿限無は鬼の言葉にゆっくり頷き、刀を鞘に納めます。

 その様子を物陰から見ていた村人たちは、感心しました。
 力では誰も敵わなかった鬼を、知略で従えたのです。
 村人たちは、勇者を讃えるため、物陰から出てきてきました。
 彼らは寿限無に思い思いに礼を言います
 その中からすっと村長が出てきて、深々と頭を下げます。

「ありがとうございます。
 これで村を捨てずに済みます。
 ぜひともお礼をさせてください」
「食事の礼だ。
 必要ない」
「いいえ、勇敢なお方。
 食事は我々が勝手にしたことです。
 是非ともお礼を」

 寿限無は悩みます。
 お礼は必要ないのですが、しかし彼らの気持ちを無視するのも失礼に当たる。
 どうするべきか、寿限無は悩んだ末、一つ頼みごとを思いつきました。

「では一つ、頼みたいことがある」
「はい、何でしょうか?」
「家に帰るので一緒に付いてきて欲しい。
 一人では怖くて帰れないのだ」
「なんと……
 鬼すら恐れないあなたが、恐怖を抱くほどの存在がいるのですか?」
「ああ、鬼より恐ろしい母が家にいる。
 私の名前を噛まずに叫びながら襲い掛かってくる母ほど、恐い存在は知らんよ」

7/21/2024, 1:02:06 PM