「ではおやすみなさい」
「あ、うん。おやすみ、なさい」
パタンと閉じられたドアはもう微動だにしないけれど、きみの余韻はふわりふわりと薄暗い廊下に残留している……気がしている。
きみがさっきまで嗜んでいた紅茶の香り。寝る前だからってミルクたっぷりの、まろやかで甘くて深い香り。
眠たげだからかちょっと語尾がふにゃふにゃしていた。お風呂上りの肌に体温が透けていたし、日中にはないラフな姿は一日の中でもっとも自然体なきみそのもの。ぼくがあげたパジャマ、すっごく似合ってた。
だけれど完全に抜け切っていない昼間のしゃんと感が仕草とか表情が残っていて、そのおかげで大人っぽいしっとりとした雰囲気がまだ残ってる。
今日一日のぜんぶのきみが重なり合ったり別れたりしながら同時に存在しているから、そりゃあ、もう、ね。
たまんない。
そそくさとぼくも私室に入って、ベッドに潜り込んだ。
「あ゛~~~~~~ッッ‼(小声)」
枕に顔を押さえつけて息を吐き切るみたいに、枕の中身にぼくの声を吸収させる。マットレスに足を弾ませないよう気をつけながら空中で足先をバタつかせて、今日一日中の想いを叫ぶの。
最高な日だった!
昨日もそうだったけれど、今日も最高! ぼくの中の全人類がそう言ってるからまったく正しいの。異論なんてない。
朝起きてからのことを思い出して、そのときこころで思っていたことを指先でぐりぐりシーツに書き殴ってゆく。もう語彙力なんてゼロに等しいから、「あ~~」とか「きれい」とかそんなんばっかりだけれど。
本当なら日記とかメモアプリとかに残しておくのがいいと思う。だけれど、ひょんなことで誰かの目に映るのなんてやだ。自分で見返すのだって、こそばゆい。
だから、眠る前に、シーツに指で文字のシワをつくっては伸ばしてつくっては伸ばしてを繰り返す。ぼくの背中に閉じ込めて眠って、夢でもういっかい体験してから、こころに詰め込んでおくの。
もし心配なら、シーツごと洗濯しちゃえばいい。
それで、朝にはとってもいい気分。
「んふ」
枕の下には今日の夢のリクエストを書いておく。成就率は低いけれどね。
#どこにも書けないこと
2/8/2024, 7:20:41 AM