【目が覚めると】
早朝にいつもの土手に行き、寝そべる。
気づけば眠りの世界へ迷い込んでいた。
目が覚めると、そこは宇宙だった————
僕の視界に一目散に飛び込んできた立派な木の枝枝に、柿色の紅葉が満開で空が見えない。
葉が涼しげな風に緩やかに乗って、ひらひらと瞼の上に舞い落ちてくる。
紅葉を乗せてすーっと時折通り過ぎてゆく風は、涼やかな温度で僕を暖かく包み込むように、ふんわり肌に触れてくる。
その心地よさに自然と瞼を瞑らされる。
肺にたっぷり空気を吸い込む。
風の、空気の澄んだ匂いだけがする。
葉と葉が触れ合う音がサァーっと過ぎ去るように聴こえてくる。
寝そべっているふわふわとした地面を見てみると、辺り一面が紅葉の葉で重なり埋め尽くされていた。山吹色の葉も混じり混じり、視界を艶やかに彩る。ふかふかの自然布団だ。
そっと立ち上がると、
鳥居が目の前に立ちすくんでいる。笠木と貫と楔と柱、それだけで作られた至ってシンプルな鳥居だ。だが、お地蔵さんと同じ肌質に肌色をしている。苔が所々にしがみ付いていて、時の止まった鳥居。そんな表現が相応しい。少しばかり静寂を感じさせる鳥居だと思った。
こんな白昼夢のような光景に一人呆けて紅葉の地面に腰を下ろしていると、腰あたりに柔らかく暖かい、何かが打ちつけられた。
僕はこの感覚を知っている——
「ねこ?」
「にゃーん。」
そう言って振り向くと、目を細めて口角を綺麗に上げながら、小さく響くあどけない返事が返ってきた。
さっきの感覚は、猫が頭を擦り付けてきた感覚。
僕はその猫を見た瞬間、つい目を見開いて、息を呑んだ。
とても、綺麗だ。
真っ白な短毛が艶めく。華やかで麗しい顔立ち。仕草の一つ一つが気高く嫋やかだ。鋭く輝くのは黄金のような眼。深く透明で、繊細な猫の眼。
そんな眼は真っ直ぐに僕の眼を捉えている。
華奢な尻尾は緩やかに上がっている。
どこか不思議で、得体の知れない何かがある。
何なんだ、この方は……あ、猫だった…でも、“この猫”だなんて言えない。人間のような、それをも超越したような——
「にゃぉ〜」
僕の眼を見つめながら体に頬をくっつけてくる。
あぁ、透き通る桜色に染まる鼻や耳が愛らしい。
大分人慣れしているな。野良猫には感じない余裕や穏やかさを感じる。誰かに世話をされているのだろう。きっとその誰かは、この方を愛してやまないんだろうな。
整った毛並みに質の良い毛。その純白は微々たる汚れすらつかず清潔だ。ここまでに美しい猫を目の当たりにしたのはこれまでもこれからもただ今だけだろう。これ程までの丁寧なケアに、この方の穏やかな表情を見るに幸を悟る。
首に首飾りを見つけた。
どうやらちゃんと飼い猫のようだ。
小ぶりで和柄が繊細に織り込まれている首飾り。小さな鈴が付いていて、静かに揺れ”チリ、チリン”と囀りのような音が聴こえてくる。
華奢な手と長い脚で歩く度、その淑やかさに惹き込まれるように見惚れる。僕の周りを囲って歩き、目を細めて頬をふんわり擦り付ける度、ちらっとまたその眼で真っ直ぐと僕の眼を捉える。
そんなことを繰り返ししている間にも、僕は全くこの方に触れる気なんておきなかった。僕が触れていい方じゃない。僕から触れるなんてのは、不敬にあたる。無意識にそう思っていた。
どれくらいの時間が経ったんだろう。
時間を忘れてこの方に見惚れていると、僕の周りを囲う歩みを止め、僕と顔合わせに正面を向いて座った。淑やかに尻尾を身体に沿わせ、ゆっくり顔を上げ、力強く僕の眼を見つめた。僕は自然と正座になり背筋は真っ直ぐなった。こちらも静かに息を吐いて、この方の眼を見つめた。するとどこかいたずらに眼を細めたかと思えば、すっと立ち上がり上がった尻尾を満足気にゆらりと揺らして、真っ直ぐと向かった鳥居を潜った。歩みながらこちらをちらりとも見ずに、
「にゃ〜ん」
と、一言残し、何処かへと行ってしまった。
名残惜しさが胸を掠めながらも、自然と鳥居を潜る気は微塵もなかった。
「あぁ、そろそろだな…」
目が覚める。
手をついて上体を起こす。触れる感覚はみずみずしい草たち。そこはいつもの土手だった。
何だかとても不思議で、長いような短いような…そんな夢を見ていた気がする……
寝起きで開ききらない瞼。
これまでに感じたことのない心地良さが身体に残っている。
「……」
「にゃーん」
「!?」
強く振り向いた背後には、何もいない。
青い原っぱが広がる壮大な土手。
サァー…
相も変わらず今日も、草は風に撫でられるようにして一方向に靡いている。
いつもと違うものと言ったら、意思がどこかふわふわと浮いていて、はっきりしていない。
不思議な夢からの感情の揺れだ。
「……気のせいか」
ザッザッザッザッザッ……………______
チリ、チリン
7/11/2024, 4:45:28 AM