『みかん』
山越えの道路を車で行く途中、道沿いにぽつりぽつりと設けられた小屋のようなものが目に入った。
また少し先に見かけて、通り過ぎる瞬間にそれを確認する。木で造られた屋根のある小さな建物の中にはオレンジと赤……
それを見て、みかんだ! と思った。
赤いネットに入ったみかんが数袋、小屋の中に並んでいる。
そういえば、この辺りにはみかん畑がたくさんある。小屋は、そのみかんを売るための無人販売所なのだろう。
次に通り過ぎた小屋には、手書きの看板にペンキで〝みかん 100円〟と書かれてきた。
アオトは心の中でガッツポーズをした。
大好物のみかんが、こんなに安い。しかもスーパーのより絶対美味しい。
きっと詳しい人は、この中でさらに1番美味しいみかんを置く店を知っているのだろうが、アオトにはこの中からどこを選べばいいのか分からなかった。
よし、次に見えた店に止まろう。
そう決めてから次の小屋が視界に入るまではすぐだった。
慌ててスピードを緩め、道路脇の空地に車を停める。隣にもう1台車があった。どうやら先客がいるようだ。
車のドアを開けると首元に冷たい風が吹き込んできた。アオトは、身震いしながらダウンのチャックを上までグイッと引っ張り上げた。
小屋の前に立ったアオトは、この無人販売所は当たりかもしれない、と思う。
ここのみかんは赤いネットに入った袋を、さらに丸いかごに入れて並べるスタイルだ。見たところ、かごの数は10個かそこらだ。その中で、みかんを乗せているのは3つ。
そして、前にも客がいる。ここのみかんは結構人気らしい。
先客の女性がみかんを手に取った。そのまま手を伸ばし、もう1つ取る。
とうとう、かごのみかんはあと1袋になった。
幸い、女性はその2袋だけを抱えて車に戻っていった。残り物には福があるというし、ラッキーだ。
ポケットから財布を出す。無人販売なんてものがこうやって成り立っている日本は平和だな、と思いながら料金箱に100円玉を入れた。
そうやって最後のみかんに手を伸ばしたその時、後ろに近づいてきたエンジン音が止まった。
あっ、と思い振り返る。
アオトの車の横に、黄色の軽自動車が停まっている。そして、中から同い年くらいの若い女性が降りてきた。
そっちを見ていたアオトと目が合う。
「すみませーん、もう売り切れですかー?」
伸びのある声が飛んでくる。
「あ、えっと。あと1袋……」
みかんをチラッと見てそう言う。
「よかった、ラッキー」
小走りでやって来る彼女。アオトは内心、しまった、と思っていた。自分がはっきり言わなかったせいで勘違いをさせてしまった。
心底嬉しそうな彼女に、このみかんが自分のだと主張することなんて、アオトにはできなかった。
どうすべきか分からなくて、その場に立ち尽くす。
料金を箱に入れた彼女が最後のみかんを手に取り、遂にみかんは完売となった。
アオトは心の中でため息をついた。
そんなこととは思いもしないだろう。嬉しそうな彼女の背中に軽く会釈をして、アオトは車へと向かった。
「あの!」
よく通る明るい声で呼び止められた。驚いて後ろを見る。
「みかん!」
「え?」
「このみかん! もしかしてあなたが買うつもりでした?」
両手を空っぽにしたアオトを見て、彼女がそう言った。
「えっと……はい……あ、でも気にしないで下さい。僕は他のとこを探すんで」
アオトが再び車に戻ろうとすると、再び「待って」と呼び止められた。
「よかったら、このみかん、半分こしませんか」
「え、半分こ……?」
「私、この辺のみかんは全部食べたけど、ここのが1番美味しいと思う。だから、譲ってもらったお礼に半分もらって下さい」
少し気が引けるような気もした。でもそれ以上に、そこまで美味しいみかんなら、アオトは食べてみたかった。
「じゃあ、お言葉に甘えて……」
「よかった!」
結局、最後のみかんは2人で半分ずつ分け合った。
自分の分のみかんを袋に移し終えた彼女は、その中から1個取って、その場でみかんを食べ始めた。
「う〜ん! 甘い! うまい!」
彼女があまりに美味しそうに食べるので、アオトも彼女の真似をしてみることにした。
「あ、ほんとだ! すごい美味しい!」
「でしょ」
少し自慢気に彼女が笑う。
「僕、絶対また買いに来ます」
「うん! でもお互い、今度はもっと早くにね」
そう笑い合って、彼女と別れた。
口の中が甘くて、ちょっとだけ酸っぱい。
今日食べたみかんの味はきっと、忘れない。
12/30/2024, 10:37:13 AM