愛菜ちゃんは、もう塾に来なくなった。
わたしは、学校に友達のいないわたしには、愛菜ちゃんだけが親しい人だった。
お家が大変だって。借金をお父さんが作ったって。
そんな世界、わたしには、わからなくて。彼女に会いたいけど、どんな顔をしたらいいの。
そうして、三ヶ月がたったころ。わたしは、アニメショップにいた。漫画の新刊を買うためだ。
レジに並んでいた。客は多く、10分ほど待った。
「いらっしゃ……、あ、玲衣?」
「あ……、愛菜ちゃん……」
レジの店員をしていた。
そしてわたしは、午後の遅い時間に、この店の前に来て彼女を待った。そういう約束をしたのだ。おつかれさまでしたーとかいう声が聞こえて、愛菜ちゃんがでてきた。
「おひさっ」
敬礼のように手を額にかざす愛菜ちゃん。わたしの目尻にジワリと涙が浮く。
「うん。ひさびさ」
聞きたいことはある。大丈夫なの? でも彼女の笑顔があんまりに眩しくて、何も言わなくていいような気にもなる。
ここから海が近い。わたしたちは、そこまで歩いた。海といっても堤防で柵をされて、水面は見えないのだけど。その堤防に上がって、2人は座る。そうすると初めて海が見える。
「勉強は順調?」
「うん……。第一志望に行けそう」
愛菜ちゃんは、嬉しそうに顔を綻ばした。
「愛菜ちゃんは?」
「学校はやめた。あたし、宙ぶらりんだわ」
わたしは、言葉が出なかった。ただ、運命、という言葉が出てきて、それを粉々にしたかった。
「でも、生きていく方法っていうのを考えるようになったよ。とりあえずYouTubeかな」
「え、するの?」
「いろいろ試してみる。人生、最初に転んだら終わりだなんて思いたくない」
愛菜ちゃんは、歴史学者になりたいと言っていたのを思い出した。ジャンヌ・ダルクを研究したいって。
「きっと、うまくいくよ」
わたしの声は震えていた。わからなかった。しかし、人生というのはどこまでも、わからないものなのでないか、と、思った。誰もが、より良いと思える道に賭けるしかない。恐ろしいと思った。そして……。
「人生、楽しくなっちゃった。こう、なにかをするのがさ。動くほどに、世界が見えてきて」
愛菜ちゃんには、何が見えてるのだろう? わたしは、自分がとても子供のように思った。彼女は自分で人生を切り開こうとしているが、わたしは何をしているだろう。
何かをしても、何にもならないような気がして、無気力に生きていないだろうか。それを、愛菜ちゃんと塾で話すことで発散していただけ。
「玲衣、人生、生きなきゃ。死ぬときに後悔してもどうしようもないんだよ」
彼女は、わたしをじっとみた。わたしは、勇気づけられたような気がした。
海の流れは、夕方に近い時間、うねりを激しくして、生き物のようだった。
11/17/2024, 9:49:02 PM