『バカみたい』
鏡の中にいる女は、真っ赤な口紅を引き直していた。
「バカみたい。あんな男、どこが良かったのかしら」
自分に言い聞かせるように呟き、派手なイヤリングを揺らす。裏切られた夜、泣き腫らした目は冷たい化粧で完璧に隠した。
彼女は夜の街へ踏み出した。ハイヒールの音が、静かな路地に鋭く響く。
自由になったのだ。もう誰の顔色を伺う必要もない。
彼女は心からの解放感に浸り、ふっと口角を上げた。
その時、背後から聞き慣れた足音が近づいてきた。
「……ごめん。やっぱり君じゃなきゃダメなんだ」
情けない声が鼓膜を震わせる。
彼女はゆっくりと振り返った。冷ややかに突き放す言葉を、喉の奥まで用意して。
けれど、視界に入った彼のひどくやつれた顔を見た瞬間。
「……本当に、バカみたい」
彼女の唇から零れたのは、自分でも驚くほど甘く、柔らかな声だった。
差し出された手を、彼女は無意識に握り返していた。
3/23/2026, 7:13:09 AM