tatsumi

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 菖蒲の花が咲く。
 俺の心を天へ押し上げる。広い庭に敷かれた石畳で犬が寝ている。雨上がりで濡れているだろうに、それでも構わず寝転がる。
 門の修繕費用は予想以上にかかった。侵食が激しく、まるごと取り替えた方がいいと業者に言われた。断らなかった。何も断らなかった。この家の管理を任されてきたのは俺だった。
 娘が嫁に行ったのは三年前のことだ。この家を建てたとき、俺の頭に浮かんでいた将来像に映っていたのは、娘ではなく息子だった。その頃はまだ若かったのだ。第二子、第三子に期待していた。俺が建てた家が代々受け継がれることになったらと思うと、自分が誇らしくて、限りない妄想に勤しんだ。
 息子は生まれなかった。娘一人以上の子宝には恵まれなかった。だけど娘はいい子だった。悔いはない。強いて言うなら、俺たちが死んだあと、一人残してしまうことが可哀想だ。兄弟がいたら違ったろうに。いい婿に恵まれているとはいえ、肉親にしか話せないこともあるだろう。
 妻だって、俺が死んだらあいつはどうなるのだろう。この大きく作ってしまった家に一人で住むのか。いつまで。ぽつんと生きるのは寂しかろう。散々持て余すだろう。娘が彼女を引き取ってくれるだろうか。でもそうしたら、この家は空っぽになってしまう。
 俺の魂の行きどころがこの家であったらいいのに。死んでも、ここを離れたくない。この居心地のいい家から旅立つなんて恐ろしいことだ。若いときの独り立ちとは違う。俺は年を食ってしまった。見つめることの厳しさをもう十分に知っている。悠久のときを馴染みのない場所で過ごすなんてまっぴらだ。



/ 思いつかなくなっちゃった

6/21/2024, 9:28:50 AM