『バカみたい』
バカみたい。
みんな、みんなバカみたい。
いや、なんで本当に馬と鹿になってんの??
バカなの? 死ぬの??
○○○
馬と鹿スピリチュアル現象。
世界というのは、ブームがある。
『朝、目が覚めたら毒虫になっていた』
なんて本を書いた人が居た。
その人が生きていた当時には、サナトリウムという自然治療がなんかめちゃくちゃブームだったらしい。健康的だと。
ちなみに今はもうない。
世界には流行りというものが、ある。
それはある意味、世界が生きた証で、世界の歴史、文化なのかも、しれない。
……だからといって、これを許容して良いものか、幾ばくも生きていない女子高生の私に分かりかねた。
というかシンプルに嫌だった。
もっとマリトッツォとか、マカロンとか、アサイーとか、お洒落なヤツが流行って欲しかった。
ワガママだろうか??
始まりはこんな事だった。
『賢い人ほど、幸福度指数が低い』
そんな根も葉もない、しかし権威と発言力だけある論文に、世界中が魅了された。
賢い人ほど、様々な事を心配してストレスで過労死する。
陽気でマイペースで楽観的な人ほど、ストレスが無く長生き出来て、しかも小さな事で幸せになれる。
バカは、気が付かないというのは、幸せな事なのだ。
……昔は賢い事が、幸福の証だった。
しかし、今はAI時代だ。
賢さは人間の特権ではない。既に、AIが居れば人間は賢くある必要すら無いのだから。
私達は、幸せになりたかった。
そうだろう、不幸になりたい人は居ない。
そんな時に流行ったのが、馬と鹿信仰だ。
これは、一昔前、コロナという疫病が流行ったときに、アマビエという神が信仰されたのと、類似するナニカだった。
あのブームが、馬と鹿で訪れた。
……みんな、馬や鹿の被り物、アクセサリー、ペットを飼い始めたり、奈良の鹿を拝んだりしている。
今や、馬と鹿の会話は、天気の話ぐらい社会でメジャーな話題だ。共通のコミュニケーションツールとも言える。
私は言いたかった。
『もう既に十分、バカだから、これ以上馬鹿にならないでよ』
と。
鹿の冷たい視線を見てみろ。なんだこの人間は、マジで意味分かんない、アホなの? という呆れた視線を。
そりゃそうだ。いきなり拝まれても鹿だって困るだろう。
馬鹿になりたいと願っているが、その行動自体が、もう既に馬鹿だと気づけない、それが馬鹿なのだ。
……もう、馬鹿がゲシュタルト崩壊して、意味わからん。
私、一人が未だに、このブームに乗れないでいる。
だって、馬と鹿の被り物は可愛くないし。
……でも、私一人、コミュニティに入れないのは、ちょっと辛い。話が合わないし、え? まだ馬と鹿の被り物してないの? 遅れてる、みたいな空気読めないよね、みたいな視線が辛い。
……馬鹿は、誰なんだろう。
賢いとは、いったいなんなんだろう。
この世界には、バカしかいないのかもしれない。
——私も含めて。
本当にバカみたい。
私はフッと、笑うと鹿の被り物に手を伸ばした。
おわり
3/22/2026, 4:40:53 PM