《木枯らし》
季節から少し外れた、冷たい風。
バサリと音を立てて着地したそれは、僕の後ろでゆらりと立ち上がった。
黒い翼を軽く畳むようにして閉じ、その手を僕に伸ばす。
「いや、普通に現れてくれる!?」
「充分普通だろう?」
空から現れることが普通なのは、どこぞのヒーローだけだ。
少なくとも人間からすれば普通とは言えない行動だが、それを簡単に取ってしまえるのは彼だからこそなのだろう。
「で、何しに来たんだよ。魂ならやんないぞ」
「ほら、契約に則り何でも願いを言え、叶えてやる」
「代わりに死後の魂をお前に奪われるんだろ、やなこった!」
悪魔、と呼ばれる存在の彼は普通の人の目には映らない。
だが、時として『視える存在』というのがいるらしい。それは人に限らず虫や動物にもいるというが、僕もまた、その『視える存在』だった。
「今日も木枯らしを背に、迎えに来てやったというのに……」
「カッコつけんな。単純に高いとこ飛んでてそっから急降下したら空気ごと来ちゃったんだろ」
無駄にギラギラとした笑顔でポーズを決めているが、本当に無駄だ。
このカッコつけたがりめ。
「ほら、契約書にはしっかりと血印が……」
「それ初めて会ったときあんたが顔面に突っ込んで来た所為で鼻血出ちゃって、それがちろっと付いただけじゃんかよ」
「それでも契約者の血だからな、血印扱いで問題ないぞ、うん」
「うっかり付いた鼻血でも!? 最低だ!」
「そう褒めてくれるなよ……照れるだろ」
「褒めてるわけないだろー! ああでも悪魔だから罵倒しても逆効果か……?」
こうして頭を悩ませるのも、よくある話だった。僕らのいつも通りの会話だ。
「ほんと、うざい。——消えてほしい」
罵倒が意味をなさないことを理解しながら、僕はそう続けた。
すると、悪魔は黙り込んだ。
いつもならまた『またまたぁ、照れちゃって』みたいな、そんな反応をするのに。
「……そうか。わかった」
そう言うと悪魔は僕に背を向け、飛び去った。なんなんだ一体。
それからというもの、幾ら悪態を吐いても、幾ら契約に同意するからと叫んでも、悪魔が姿を現すことはなかった。
——そうして僕に木枯らしが吹かなくなって、三年経った。
「少しだけですからね、いいですか?」
看護師さんの窘める声を背中で受けて、僕は窓を開けた。
春の心地よい風に目を閉じると、ふと、春の陽の光で柔らかくなった、少しの冷たさを感じた。
馬鹿な、そんなことがある筈がない。有り得ない。
頭では否定していても、これは、木枯らしだった。それも、酷く懐かしい。
「……久しぶりだな」
答えはないが、そこにいるのはわかっている。
「……たった三年だけど、僕は随分変わっちゃったよ。だから君に、願いがあるんだ」
そう。ずっと心の中にあった願い。
「——僕の友達になってくれないか」
「その代償に、死後の魂を捧げるのか」
ああ、懐かしい。聞きたかった声がする。
「そうだよ、だって君は悪魔だ。代償なくして願いを叶えられないんだろ? 憐れだね」
「本当に憐れなのはお前だ。見えなくなって、その目を見えるようにしてほしいとも望まない、悪魔なんぞに友情を求めるお前だ」
悪魔の言うことはもっともだと思う。
「でも、それが僕の契約書に書く内容さ。呆れた?」
「ああ、お前ほどの阿呆はいないな」
そうか、僕くらいなのか。
なら、君の中に、僕との記憶が残れば嬉しいな。
木枯らしは、目に映らずとも悪魔を感じさせてくれる。だから僕は、木枯らしが好きで、悪魔も——。
1/18/2024, 9:37:41 AM