ずっとこのまま
平凡な日常が私の幸せだと思っていた。
あの人に出逢うまでは。
私はとあるお店を経営している。
その場所は世の中から少し離れた暗い世界にありながらも同時に二つの顔を持ち合わせているのが特徴だ。
2つの顔とは主に昼と夜の顔である。昼の顔は、フレグランスな香りに包まれ至福のひとときをお客様に提供している一方で、夜の顔はと言うと世間の闇に疲れた人達がのんびりと羽を休める場所を提供している。
このお店を開くきっかけになる出来事を話すのは貴方が頬を赤らめる速度が落ち着いた時にゆっくりと聞いてくださいね。
「カランカラン」の鈴の音がなる。茶色の扉が開き今夜の蝶が顔を覗かせる。
「いらっしゃい」
主役を際立たせる色を身にまとい妖艶な笑顔で席を促す。
だが、私の妖艶な笑顔に見向きせず下を向いたまま1番遠くの席に座った蝶は顔が曇り何やら深刻そうだ。
いつもなら「いらっ」として態度に出ちゃいそうだが、
今夜は優しく曇り空を晴れにするような対応に徹する事にした。
まず、注文を聞くことにした。
すると「ショットの焼酎ロックで」との事だ。
私は笑顔で「かしこまりました。」
と言いつつもかなり面倒くさくなりそうだと溜息をついた。
「はぁ、、どうやって話を聞き出すかな、、」
私もママを初めて数年で場数も踏んできたが今夜の蝶はわけが違う。
経験上だが、お酒が強ければ対応はそんなに苦ではないがお酒が弱く更にお酒に対して忘却効果を期待しているなら尚更厄介な事になる。
とはいえここは数年二つの顔を持つものとして経済をぶん回してきたママとしてのプライドがある。
ここは気合を入れるために1杯の焼酎ロックを喉に流しこんだ。
「ぷはぁーーー、これよこれ」
気合いのまま慣れた手つきで作業にうつる。
冷蔵庫にキンキンに冷えたグラスを手に取り形が不揃いの氷を1個1個入れていく。
「カランカラン」と氷がぶつかり合う。
ここで、軽く混ぜ合わせ余分な水分を落とす。
この作業は一見簡単そうに見えるがお酒の品質を高めるための大事な作業だ。
「よし、、上出来ね。」
戸棚から渋めな年代の焼酎を取り出し注ぐ。
氷にそっとタッチするように静かに注いでいく。
「コトコトコト」甘い香りが鼻を掠める。
仕上げの前にもう一杯喉にパンチを入れていく。
「ん〜やっぱり最高だわ、、」
ゆっくりと液体と個体をかき混ぜ味に深みを出していく
床のきしみを響かせながら最高の品を提供する。
「お待たせしました。焼酎ロックです。」
その蝶は私を見上げボソボソと呟く。
「あ、、ありがとうございます。」
私は笑顔で
「ごゆっくり」と伝え片付けに戻っていく。
この蝶、「お礼、、は、、言えるのね。」
提供後もその蝶は口をつけず下を向いたまま固まっていた。
「あれじゃ折角のお酒が落ちちゃうじゃない」
と心の中で思いながらも蝶の様子を伺うのがママとしての務めだと思いグッと我慢をする。
数時間が経ったあとその蝶がついにお酒に口を付ける。
私はその瞬間を待ちわびてたようにガン見する。
大抵の客は1口飲むと目を見開き「うまぃ、、」とこちらに笑顔で知らせてくれる。
それが何とも愛らしくてキツくても頑張ってしまう。
だが、その蝶は予想外の動きを私にみせてきた。
顔から大量の水を被せられたような泣き顔をしただけではなく「不甲斐なくてごめん」と必死に顔を地面にのめり込ませて謝ってきた。
そうだ、、この蝶と出逢って醜くても愛おしいという感情を与えてくれた唯一無二の人なんだと言う事を。
最初の頃は甘く楽しい日々が心を踊らせていた。
だが先の未来はそう甘くはなかったということも。
こうなったのは私の未熟さだったのもあるが、それ以前に君が染まっている道を気づいてはいたけど止めなかった事が原因でもある。
でも後悔はしていない。
今こうして自分の世界を作り誰かの手助けになっているのだから。
私はにっこりと笑い彼の傍で屈んだ。
「もう、済んだことでしょ。」
彼は頭をあげなかった。
私の言葉を理解しているかどうかは分からない。
ただ、グラスの中に閉じ込めた世界以外をみたいと願った事が少しずつズレを起こした事は分かっただろう。
彼は頭を上げ口を開く。
「もう一度、、、」
「そんな戯言にはもう聞き飽きたの。」
「濃い時間は一生戻らないものよ。」
私は彼の次の言葉を知った上で突き放す。
何故だろう心が少し痛む。
「分かった。」
彼には伝わったようだ。
彼は私を見ずに外の世界に歩き出す。
「そぅ、、それでいいの、、」
「全部終わったんだから、、」
窓を開け夜風を取り入れる。
いつもは鋭く突き刺さる風も今は肌をかすめる程に心地よい。
冷えたグラスを手に取り彼の残った焼酎と新しい焼酎を混ぜ合わせ1口飲んだ。
「ずっとこのままでいいの、、」
「それが貴方を繋ぎ止めれる唯一の方法なのだから」
fin
1/13/2026, 8:25:46 AM