お題『紅茶の香り』
どうしてか紅茶の香りが昔から苦手だった。
遠い昔に母親が金持ちとの間に俺をもうけて、それからいろいろあって親子ともども捨てられた。
それでも母親は、金持ちに貰われたという過去が自慢なのか、それともすがっているのか、団地の室内を金もないのにまるで判を押した金持ちのような内装にし、事あるごとに紅茶をいれるようになった。
「これは、パパが好きな紅茶よ。とても美味しいの、パパが言うのだから」
と言っても、正直友達のところで飲んだリプトンの紅茶との違いが分からなかった。
それでも母親は、紅茶の香りただよわせる部屋で
「いつかパパが迎えに来てくれるわ」
と言い、ずっと窓の外を眺めている。その痛々しい姿と紅茶の香りが俺の脳裏に焼き付いて、だから苦手だった。
そんな俺も高校を卒業して、家にお金がないから就職して、何年も帰らないでいた。だけど、結婚するってなって、さすがに実家に帰らざるを得なくなって十年ぶりに帰ってきた部屋は相変わらず紅茶の香りで埋め尽くされていた。
「あら、おかえりなさい。貴方」
最近、母親はボケてきて俺のことを捨てた父親だと勘違いしている。
「貴方の好きな紅茶淹れておいたわ」
そうやって無駄に金をかけた白磁のポットを手に白磁のカップに紅茶をそそぐ。紅茶の赤茶色の液体から湯気があがり、いつもの香りで充満されていく。
俺は無言でそれを飲む。やはり味は昔飲んだリプトンと変わらない。俺は俺のことを父と勘違いしている母親にどう結婚の話を切り出すか、味の違いも分からない紅茶を飲みながら考えていた。
10/28/2024, 2:34:04 AM