「あの子は和真に似てないわね」
父方の祖母がため息を漏らす。
「は、はい」
それに対して母はほっそりとした姿で身を縮ませる。
「分かっているでしょうけど、私の家は代々と受け継がれてきた医者の家系なのですよ」
「はい」
「あの子ぐらいの歳には和真は折り紙でも積み木でもパズルでも誰よりも上手に出来ていたわ」
「はい」
「この折り紙の鶴一つ満足に折れないのは貴方の教育に問題があるからではないですか」
祖母の冷えた視線は母に刺々しく言葉は毒々しかった。
部屋の外で僕は腕に抱えていた絵本のイラストのように目を閉じて海の底に沈んでいき、丸い透明な泡に手を伸ばす。
「よさんか、芙美子。まだあんなに幼い子を決めつけるなんてやめなさい。それに由衣さんに失礼だ」
黙って新聞を読んでいた祖父が祖母をたしなめる。
「だって和真は外科医になったのに、孫のあの子はなんだか心配になるわ」
祖母は俯きながら答える。
小学校の家庭科では裁縫を習った。
あせくせと針でチクチクと縫っても一向に進まない僕は同じ班の子達の視線が怖く、結局いつも一番最後に仕上がるのだが出来栄えは酷かった。
ある日、部屋の隅っこに隠しておいたエプロンを学校から帰ってきたら母が見ていた。
カバンを置いて慌てて母の手からもぎ取ろうとした。
「ねえ、健人」
母が失望した顔をしているのか、悲しい顔をしているのか見れなくて、僕は目をぎゅっと閉じた。
「お母さんね、どんなに時間がかかってもね、あなたの最後までやり抜くところが大好きなの」
ぎゅっと閉じた目から温かくて塩っぱいものが頬を伝う。
「ででも、不器用だから上手くできないんだ」
僕の喉から絞り出る声がかすれて苦しかった。
「不器用でも一針一針、一生懸命に縫っているあなたの気持ちがちゃんと伝わってくるわ」
母の穏やかな声が心に渦巻いていた黒いモヤモヤに届く。
母から取り返そうと手で握りしめていたエプロンの布に僕の頬から溢れた涙の滲みができていく。
「お父さんのようにならなくても良いのよ、健人」
「でも、お祖母ちゃんが……お父さんのような外科医になれって」
ぎゅっと閉じていた目を少し開けてみる。
「健人、お母さんはね、大きくなったあなたがお父さんと同じ職業に就かなくても良いと思っているの。お父さんは立派だけど、お母さんは人を助けたり人を救うことはどんな職業であってもできると思っているわ」
「健人はどう思っているの?」
目を開けてみると、母の真っ直ぐな眼差しが海の底に届く一条の光だった。
「ぼ、僕は本が好きで、この前雑誌に載っていた人工知能の可能性に興味があるの。医療でもね、画像認識技術が発展すればがんの早期発見が高精度でできるようになるんだ」
「もしかして健人はお祖父ちゃんの事を覚えているの?」
「うん、5歳の時にお祖父ちゃんが、がんで亡くなったから僕はずっと考えていたの。お祖父ちゃんの事、好きだったから」
「そう」
母は目尻に涙をためて懐かしそうに微笑んだ。
------------------エピローグ--------------------------
不完全な僕、欠点だらけな僕はだめだとずっと思っていた。
でも、様々なことは捉え方次第で状況が大きく変わることもある。
大人になってから出会い、心理学を学んできた友人は認知療法を学び、世界が一変したと言っていた。
それぞれの人生において自分との対話、そして周囲との対話を諦めないでほしい。
転機となるきっかけはすぐ隣にあるかもしれないのだから。
9/1/2024, 12:22:08 AM