今日の思考
人間は言うまでもなく、他の動物と同様に生き物である。よって、無意識にみな「野生」を本能的に望んでいるはずだと私は思う。つまり、「自由」を望んでいるということだ。生き物の自由、それは、自分の本能や欲望に従い、行動または感ずることができる状態のことだ。つまり常識や周りの目などの何にも縛られず、良いとされる行動も悪いとされる行動も関係なく実行できるということだ。ところが、今日の人間は悪い行動はよっぽどのことがない限りしないであろう。これは、目立たぬよう周りからの目を気にしたり、他の人たちのように良い人でいなければならないといった感情から、自分自身の心に自ら制限をかけている結果と言っていいだろう。しかし、先ほどのように、人間が生き物であることに着目すると、人間は本当は良い悪い関係なく、自分がしたいと思ったことをしたいという己の制御からの解放を望んでいることがわかる。
ところで、今までに他人の短所を見つけ、安心した経験のある人はどれだけいるだろうか。きっとどんな善人や前向きな心持ちな人でも追い詰められた時、人の弱いところを知りたいと思った経験は一度はあるだろう。それはどのような心理作用であるか考えた時、人の悪いところ、弱いところを見つけた時、「まだ自分はましだ」とか「この人もこんな悪いことしてるんだし私もしてもいいのでは」など自分に対し許しを与え、安心させるための行為であると考えられる。この代表例が現在の人々の政治の見方や有名人に対する不倫への目である。裏金問題や不倫などは人々が悪いと思うことの代表例であり、それを日本を代表する、または著名な人物がしているのだから尚更だ。ただ、それになぜ人々がこんなに敏感なのかといえば、人の悪を見て自分を安心させたいからなのだ。そうすることで自分らの自由の範囲を広げる。
良いことをすることは自由である。なぜならば言わずもがな、良いことをすればするほど高評価であるためだ。それに対し、悪いことをすることは不自由だ。子供の頃の嘘くらいなら許されるが、犯罪や道徳観に欠けた行為は許されるものではない。
そこで、みな自由を求めるために悪が許される範囲を広げようとしているのだ。よってみな人の短所を見つけそれをつつく。そしたら自分もしていい、大丈夫だと思える。そして自分の自由範囲を広げる。
人の暗い一片を見た、心の本質である。
3/8/2026, 11:50:09 AM