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令和7年5月2日

お題「sweets memories.」

 なにを書いてよろこぶのか♪
 分かった あなたに…
 なにも ありません

甘い想い出たちは 
懐かしい 痛み…

so sweets memories.  

懐かしい痛みだわ
ずっと前に忘れていた
でもあなたを見たとき
時間だけ後戻りしたの

失った夢だけが
美しく見えるのは何故かしら
過ぎ去った優しさも今は
甘い記憶 sweets memories

            作詞 松本隆 


「まだ見ぬ、波濤」  作 碧海 曽良

1989年12月24日バブル絶頂期、日経株価は史上最高値を記録した。

クリスマス・イブ街はイルミネーションと若者たちの摩天楼に登り詰めるような喧騒に溢れた。若い彼氏が彼女のために高級ホテルのスィートを予約してイチゴにドン・ペリニヨンのクリスマスだ!「どこにそんなもんあるのよ」と愚痴りながらバブル絶頂期のクリスマス・イブ之子はデパートのイルミネーションの中で働いていた、それは日曜の夜だった。

仕事が終わると、之子はまたあの映画が観たくなり、一人でぶらりと先日おこまと観た「恋人たちの予感」を観に出掛けた。別に態々この日でなくても良いのに、「あんた、中島みゆきか!」と自分に突っ込み入れてみたりしたが、あれから2回程、留守電に海内からメッセージが入ってどちらも無視して、彼も同じ痛みを少なからず受けているのだと解釈し過ごしていた。それは、まだ互いに火が消えたばかりの予熱であり、私の心がジンジンとするように、彼の心もこの木枯らしと真逆の喧騒に感傷的になるのかも知れない。「恋心って厄介だなぁ笑」そう零しながら都会の月を見上げた。「汚ったねえ、月だなー」そう嘯いて涙が溢れないように上を向いて歩いた。

「悪女になるなら…♪、嗚呼、やめたやめた」

誰も皆人なら何時も心の中には弱い自分と強い自分がいる。そのせめぎ合いの中で、誰しも人は均衡を必死に保ちながら泳いでいる。

「湖面を美しく漂う白鳥の脚でありたい」之子はそう自分に言い聞かせて、恋人たちで賑わう1989年12月24日の渋谷スクランブル交差点を人混みに逆行するように歩き、ひつこいナンパに悪態つき、ポップコーンでビールを流し込みながら「恋人たちの予感」を観て帰った。

「よし、メグ・ライアンになり切りだ!」憧れは安藤優子からメグ・ライアンにあっさり入れ替わる、ナンノコッチャ?な平成元年のクリスマス・イブだった。

そういえば、之子は23才になっていた。

それから、平成元年の年末を之子は休まず走り抜けた、12月の売り上げトップ11月の借りはきっちり返した。

「正月は帰って来ないのか?」と母からの電話に 「今年は帰らない!」と返したら、大晦日母と祖母がお節料理と餅を携えやって来た。東京にも雪が降った、その日かさこ地蔵のように二人は大晦日の夜アパートの前に立っていた。

31日は、出勤者は福袋製作で残業だ、残業を終えて帰宅しのは午後9時年が明けたら還暦を迎える母と、84になる祖母が寒そうに玄関の前に立って之子の帰りを待っていた。


部屋に入り母と祖母の手料理と年越しそばで平成元年を送り平成二年1990年が幕開けした。来年には崩壊し始めるバブルの夢を知る若者はこの時まだ居ない、カウントダウンの華やかな宴がブラウン管に映し出されていた。こうして之子の平成元年は暮れて行った。

翌朝平成二年元旦はデパートは定休日初売りは翌2日から、之子は母と祖母を伴い近くの神社へ初詣に向う。在り来りな正月だが東京を三人で歩くのは、これが最初で最後となった。

平成二年一月二日

戦争のようなバブル絶頂期一瞬の打ち上げ花火の只中に之子はいた。DCブランド全盛期の福袋商戦はまさに熾烈を極めた。そんな中で並んで買う客方ではなく、舞台に立ち売る方であることに誇りを持つ之子であった。

そしてまた、平成二年の暮れには年をひとつ取る数え年24才平成二年、年女の之子はデパートで行列を誘導していた。


クタクタになり、アパートに帰ると、母と祖母は帰郷していた。二人の温もりが残る部屋でお節料理を一人食べる。冷蔵庫には作り置かれた惣菜がタッパに入れられ綺麗に並べられていた。何気なく扉を閉めた、これが本当に凄いことだと本心から気づくのに、之子はまだ数年かかる。

「来月には、帰ろうかなぁ」今の之子には、母と祖母が残した冷蔵庫の惣菜への想いはこの程度であった。

年を重ねることは豊かになることである。

つづく 

「まだ見ぬ、波濤 〜青春篇〜」 
 
 次回最終回です✨️🚴🌬️💦







5/2/2025, 10:12:51 AM