桜河 夜御

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お題『花は散らない』

 古来より、人は花に想いを託す性質がある。
 それは美しく咲き誇る花だけではなく、道端に咲いている小さな花にすらも。
 名前をつけて、花言葉を考えて。抱えきれなくなった想いを託し、叶わなかった想いを花に置いていく。
 けれど、いつか花は散ってしまう。花が散れば、そこに託された想いも消えてなくなる。
 とある場所に咲く桜はそれが、あまりにも可哀想で。
 だから花に託され、置いていかれた想いたちを散る前に全て引き受けて。長い、長い時間をかけて、想いの産物を産み出す存在になった。
 かつてはこの桜の下でも、多くの人が想いを託し、あるいは置いていった。
 今はこの桜を訪れる人間は、誰もいない。

「ねぇ、どうしてあの子を生んだんですか?」
 美しく咲き誇る桜の下。漆黒の服を身に纏った、中性的な見た目と声のその人が、幹に寄り掛かって座っている。
 その周囲には誰の姿も見えないけれど、まるで誰かがいるかのように会話を続ける。
「生まれ変わりたくない魂の為?それは私だって同じでしょう」
 どこから返事が聞こえているのか、そもそも本当に会話が成立しているのか。疑問を差し挟む人はこの場にはなく、一人分の声のみが響く。
「でも、アレは私と違って魂を食べるじゃないですか」
 その声は不満そうでもあり、悲しそうでもあった。
 自分が生まれた理由と、アレが生まれた理由は似たようなものだ。
 どちらも、生まれ変わりたくない魂の為。
 自分は癒して廻らせるのがお役目だが、アレは違う。
 どうしても、もう二度と生まれてきたくないという魂を食べて、生まれ変われないようにするのが、アレのお役目。
「人の想いに添うために、生まれたはずなのに。怖がれて可哀想」
 人間が生まれ変わりを拒否する想いを持ち続けたから、アレは産み落とされたのに。
 実際に出会えば、人はアレを恐れて逃げ出した。自分たちの想いに添うために生まれた存在だなんて、微塵も思わずに。
「では、私は行きますね。お客様が待っていますから」
 話したいことを話し終えて、黒い影が立ち上がる。
 挨拶のように、桜の幹を軽く数回ぽんぽんと叩く。次の瞬間には、まるで最初から誰もそこにいなかったかのように、その姿はかき消えていた。
 
「ねぇ、どうして俺を生んだの?」
 静寂を破るように、声が響く。同時に、桜の木の下に少年の姿が現れた。まるで、空間を裂いて出てきたかのように、突然に。
 それに驚く人は誰もいない。けれど少年は、そこに誰かがいて、返事があるのが当然のように話し掛ける。
「いらないものを貰うために俺は生まれたんでしょ。それは分かってるし、応えてるよ。でも、今度は返してくれって言うんだ」
 咲き誇る桜の下で。かつて人間がそうしたように、ぽつぽつと想いを零す。
 たくさんの人が、いらないものを持っていって欲しいと思ったから、貰うために生まれてきた。
 ちゃんと想いに添っているのに、いらないものしか貰わないのに、何故か人間は自分に何かを盗られると恐れる。
 大事なものを盗ったことなんて、一度もない。
 いらないって言ったから。持っていってと願うから、応えたのに。
 それなのに返せと言われたって、そんな風には生まれていない。貰うだけで、返すことなんてできはしない。
「ねぇ、人間はどうして俺たち怪異を嫌うの?想いに添うために、人間のために、生まれたのに」
 俯き、人間のように想いを語る少年の頭上から、慰めるように桜の花が降り注ぐ。
 その花が、少しずつ人の形を成して、少年と瓜二つの姿になる。
「俺が返すよ。返して欲しい人の想いに応えて」
「分かった。これからは、二人で応えよう」
 いらないと思って手放したものが、本当は大切だったことに後から気付く。そういう人間は意外と多い。
 それを嘆く人間の想いが桜に届いて、やっぱり桜は、そんな人間があまりに可哀想で。
 いらないものを貰う怪異と対になるように、なくしたものを返す怪異を産み落とした。
「じゃあ、行くね」
 二人、声を揃えて、手を取り合って。
 現れたときと同じように、空気に解けるように姿を消した。
 新たな怪異を生み出すために散ったはずの桜の花は、もう最初と遜色なく立派に咲き誇っている。

 現代でも、人は変わらず花に想いを託し続ける。
 ずっと変わらず、抱えきれなくなった想いを託し、叶わなかった想いを花に置いていく。
 変わらないその性質が、あまりに可哀想で。
 だから人の想いがある限り、この桜の花が散ることはない。

                    ―END―

11/16/2023, 6:45:22 AM