人はいつも、見えない何かに憧れている。
ミイラ取りがミイラになったとはよく言ったものだ。
それは、知らないことに対する好奇心かもしれないし、誰もが知らないことを自分が見つけたという優越感からかもしれない。
表の話だけでは飽き足らない。「裏」があると聞けば、皆皆どんな話なのだろうと足を止めてしまう。人の興味は、裏にある。
「かの武将の部下が…」とか「天下取りは実は女性で…」とか「歴史的なあの偉人は実は海を超えて生き延びていて…」とか、もう一つの物語には枚挙にいとまがない。
かくいう私はというと、いつも、そういう話を聞いては「もしもの話ばかりだなぁ」とぼやくような、夢のない子供だった。そういう食べられないロマンには興味がなかったのだ。
しかし子供ながらに、もう一つの物語というものは、つまりロマンというのは、わからないからいいのではないだろうか?と思っていた。
裏と表で、区別をつけるからよくないのだ。
物語をひとつふたつと数えるからよくないのだ。
そんなふうに数えていたら見えないものも見えてきてしまうだろう。だから、見えないものは見えないままで、あれやこれやと掘り返すのはどうかと思う。
テレビの特番でミイラの解説をしていたところを私がそんなふうにボヤいたら、父は物分かりの悪い生徒に向けるようなわざとらしい苦笑とため息を見せて、こう言った。
「わかってないな。そういうのを無粋っていうんだよ」
お題/もう一つの物語
10/29/2024, 4:32:07 PM