ノンネム

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 八月が終わる。

 朝から鳴きっぱなしのセミは声量を下げ。
 吹き抜ける風はだいぶ涼やかになった気がする。
 風に揺られる草葉はまだ青々しくて。

 空は青に朱色が混ざり始める、そんな時間帯。
 二十歳になった僕は、夕暮れ時の空に浮かぶ入道雲を見つめていた。

 家に帰っても、なにもない。
 知っていた。
 誰も僕に興味はないって。

 僕が良い子でいる時に限って、興味がない。
 僕は僕で、良い子を辞める勇気がない。
 だから、父も母も、僕に興味がない。
 ずっと、ずうっと。

 道端に生えている、青々とした雑草が強い風になびく。
 そういえば昔、この場所で……。
 このときになってようやく、かつて僕を気にかけてくれた人がいたことを思い出した。


 名前を知らない、顔も覚えていない、何歳くらいの人かもよくわからない。
 僕より年上の女性だったことだけは覚えてる。

「どうしたの」

 彼女はそう言って、僕に歩み寄った。
 今思えば……小学生の男子がひとりで公園にいるのは、おかしなことだったのだろう。
 だから彼女は、心配したのだ。
 けっして連れ去るつもりじゃなかった。

 けれど僕は怯え、身構えた。
 彼女は、そう、そうだ。母とよく似ていたから。

 身構えた僕を見て、彼女は言った。

「なんにもしないよ」

 それから彼女は、ポケットに突っ込んでた財布から、小銭を取り出した。
 二枚の100円玉を、僕が座るベンチの手すりに置く。

「これでジュースでも飲みな」
「受け取れません」

 母の言いつけどおりの言葉を返した。
 彼女は聞こえなかったみたいで、そのまま歩き去ってしまった。

 僕は、恐る恐る小銭を手に取る。
 ……かなり迷ったが、スーパーで1枚だけ使うことにした。
 紙パックのリンゴジュースを買って、すぐに飲み干した。
 美味しいとか、そんなことは思わなかったけど。
 体が元気になった、気がした。


 あれ以来、女性とは会っていない。
 お礼をしたい、あの時もらった200円を返したい。
 そして、できるなら名前を知りたい。
 どこの誰なのか、知りたかった。

 近くの公園に、女児がいることに気がついた。
 彼女はひとりでブランコに座っている。
 日はだいぶ傾きはじめている。
 こんな時間に、どうしたんだろう。

 僕は、彼女に声をかけた。
 夏の公園特有の、青臭い香りが鼻腔をかすめた。



【夏草】

8/29/2025, 4:48:33 AM