鱗に覆われた白光りする体が、大きく太く横たわっていた。
足を踏み出すと、蛍光色に光る緑の苔が、靴の爪先に纏わりつく。
澱んだ重たさすら感じる、鈍い湿気が満ちている。
白い鱗の体に向かって歩く。
泥と湿気に覆われて、青臭く生い茂った苔は、黒々とした泥と一緒に、こびりついてくる。
歩きながら、袂に隠し持った短剣に触れた。
ひんやりとした金属の鋭い冷たさが、心地良い。
私は今から、あの白い大蛇を殺す。
永遠を永遠たらしめる、あの蛇を。ウロボロスを。
足を上げる。
苔の奥の泥が、靴の裏にべっとりと纏わりついている。
私は永遠に生かされている。永遠に生きていなくちゃいけないんだ。
人買いに殺されそうになった私を、庇って助けだしたその青年は、寂しそうにそう言った。
笛を吹く不思議な男の音楽につられて、町を出た私たちに待っていたのは、恐ろしい現実だった。
足が不自由だったあの子は帰された。
子どもには厳しすぎる現実に、放り出された。
町一番の美人のあの子は、大人たちに手を引かれて、艶やかな光が怪しく灯る、細い路地に引き摺り込まれて行った。
一番力のあったあの子は、ふっくらとした身なりの綺麗な大人に呼ばれて、その何倍も屈強そうな大人たちに囲まれて、どこかへ消えてった。
一番素直で可愛らしかったあの子は、暗い眼差しをして、ポカリと開けた口から涎を垂らした、危ない大人に手を引かれて、それから二度と会うことはなかった。
あの男が人買いだと気づいたのは、一番賢いあの子だった。
あの子は逃げ出そう、と言い出して、私たちは逃げようとして…
あの男が、魔術師仲間で友人だという青年と話しているうちに。
私たちは逃げ出そうとした。
一番幼かったあの子が物音を立てて、見つかった。
あの笛の曲が響いた。
私は咄嗟に耳を塞いだ。
音楽を聴いてしまって、否応なく引き摺り出された子どもたちは、見せしめのためか、声を荒げた男に殺された。
男が笛を吹き、短剣を振るう。
短剣はみんなを屠っていった。
血と汗と、涙の匂いがした。
シューーーーー
這うような蛇の声のような音が、絶えず聞こえていた。
気づくと、周りには死体が散らばっていた。
みんなの死体と、男の死体。
真っ二つに割れた笛が、男の手のそばに転がっていた。
そして、その真ん中にあの人がいた。
青年の顔をした、あの人が。
シューーーー
蛇の声は、その人からしていた。
助けてもらった礼を言った後、蛇の声の話をすると、青年のようなあの人は、目を見開いて驚いた。
それから話してくれた。
私はある沼地でまだ幼かったウロボロスにつまづいてしまった。
そして、ウロボロスに呪われてしまったんだ。
私は、ウロボロスに永遠と死を与えられたんだ。
私は永遠に死ねないし、永遠に生き続けるんだ。
そして、永遠に誰かの命を終わらせながら、ウロボロスの永遠を特別なものにし続けなくてはいけない。
…もう私の大切な人はみんな死んでしまったよ。
あの人は、青年の顔で、私の、ボケてしまったおばあちゃんみたいな瞳をしてそう言った。
その沼地はこのすぐそこにある。
そこはウロボロスの棲家なんだ。
永遠に生き続けるということは、本当に辛いことだ。あのウロボロスが死ぬまで、…ウロボロスに死なんてないのだろうが…私はずっとこのままだろう。
だから、嬢ちゃん、あの沼地で蛇には関わっちゃいけないよ。
嬢ちゃんが生き残れたのは奇跡だ。命を大切に、生きていくんだよ。
そう言ってあの人は、私の頭をぐしゃり、と優しく掻き撫でると、去っていった。
私はあの人に恩返しがしたかった。
それにあの人のような、あの強大な力を手に入れたかった。
ウロボロスの力が。
だから私は沼地に入った。
白い鱗の巨体が、目の前まで迫ってきた。
私は隠していた短剣…男の死体から密かに盗み取ったあの短剣を抜き払った。
私の父さんは、あの笛吹き男が現れるまでは害獣駆除を請け負っていた。
父さんは、私に仕事を教えてくれた。鼠や鴉や…蛇の殺し方を。
私は鱗を瞬時に観察して辺りをつけると、短剣を振り上げて、思い切り、白い巨体の鱗の間に差し込んだ。
凄まじい蛇の断末魔が轟いた。
白い巨体の、鱗の間の柔らかな肉が深く裂け、赤い液体を吹き出しながら、のたうった。
巨体が震えた。
断末魔が、細く、細くなって消えた。
終わった。
私は足を踏み出した。
鱗に覆われた白光りする体が、大きく太く横たわっていた。
足を踏み出すと、蛍光色に光る緑の苔が、靴の爪先に纏わりつく。
澱んだ重たさすら感じる、鈍い湿気が満ちている。
白い鱗の体に向かって歩く。
泥と湿気に覆われて、青臭く生い茂った苔は、黒々とした泥と一緒に、こびりついてくる……
11/1/2024, 12:47:02 PM