初音くろ

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今日のテーマ
《もしもタイムマシンがあったなら》





わたし達は時々『もしも遊び』をする。
『もしも○○だったら』という仮定に対し、ああでもないこうでもないと様々な空想を思い描いて語り合うのだ。

『もしも宝くじが当たったら』
『もしも超能力に目覚めたら』
『もしも異世界に転生したら』

仮定となる題材はそんな荒唐無稽なものばかり。
そして、不幸や悲しいものではなく、わくわくした気持ちを駆り立てるものばかり。
空想遊びとはいえ、わたし達はいつも大真面目に話し合う。
他人から見れば他愛ない雑談の一種かもしれないけど、わたし達にとってはそれがとても楽しいひとときなのだ。

そんなわたし達の『もしも遊び』の今日のお題は『もしもタイムマシンがあったなら』というものだった。
何かの話の流れから、青くて丸っこい国民的な漫画の話で盛り上がってのことである。

「形状は、やっぱり机のひきだしってわけにはいかないよな」
「うん、それならまだ押し入れの襖を介してっていう方が現実的だと思う」
「あと、現実だったらたぶん法的にもいろいろ制限がかかるだろ」
「そうだよね。安易に過去を変えたりしたら大変なことになるし」
「そうそう。未来の技術を現代に持ち込んだりとかも当然罰せられるだろ」
「ていうか、そもそも個人での所有は認められないんじゃないかな」
「たしかにそうだよな。利用するには事前調査や何かが必要だろうし、監視もつけるべきだろ。そう考えると使うにしても相当な費用がかかりそうだよな」

こんな風に、実際に使えるとしたらどんな範囲までかといった事柄を踏まえ、具体的に思いつく条件をあれこれ議論していくのだ。
そしてその限られた条件の中で、自分達が使えるとしたらどんな風に楽しむのかを。

「過去の事案に介入できないとなると、用途は歴史見物ツアーみたいなものに限られそうだよな」
「たぶんあの時に落としたと思うんだけど……みたいな失せ物探しにも使えそうではあるけど、費用対効果を考えるとそういう用途で使うのは難しいかな」
「それだと親がよく話してる若い頃の武勇伝の真実を曝くとかも無理か」
「それはそっとしておいてあげようよ」

今日も今日とて仮定の空想話を大真面目に語り合うわたし達から少し離れたところで、それぞれの親たちが呆れと諦めを含んだ顔で何やら話し込んでいる。
子供達が仲良く話に花を咲かせているというのに、その様子を見守る大人達の表情には微笑ましさのようなものは殆どない。
そのことに少しだけ申し訳なさを感じるけど、そこで親に忖度して子供らしく振る舞うわたし達じゃない。
わたしと彼はどちらからともなく視線を見交わし、こっそり肩を竦めて、再び議論に意識を戻し、それぞれの想像を働かせて大いにその話題を楽しむのだった。


「どうしてうちの子達ときたらああなんだろうな」
「タイムマシンがあったら、なんて題材で小学生が語り合う内容じゃないよね」
「俺達が小学生の頃はもうちょっと夢溢れる空想をしたもんだけどなあ」
「これは親の影響だろうなあ。あの子達が小さい頃から、うちらがあんな感じで盛り上がってるのを間近に見て育ったわけだし」

子供達の親である2組の夫婦は、それぞれ呆れと諦め、それからほんの少しの苦笑を交えながら、密かにそんな会話を交わす。
学生時代からの友人同士でもある彼らは、所謂オタク的な人種だ。
今子供達が繰り広げていような議論は、元々彼らが若い時分から楽しんでいたものでもある。
きっと子供達の前でも、無意識にそういう話題で盛り上がってしまったことがあったのだろう。

「親の背を見て子は育つ、か」
「蛙の子は蛙ともいうよね」
「どっちも両親揃ってこういうタイプなんだから、こう育つのはある意味自然の摂理か」
「まあ、子供達同士も気が合ってるみたいだし、いいんじゃない?」

行き着く先はそんな達観にも似た考え。
何はともあれ子供達が楽しんでいるならそれでいいか、と、親たちは親たちなりにそう結論づけるのだった。





7/23/2023, 7:11:34 AM