平安時代前期の高官である藤原時平は右大臣だった菅原道真を失脚させて藤原氏の政権を確立しました。
菅原道真と藤原時平は互いの父の代から顔見知りで仲が良く宇多天皇も2人が朝延の中心となり敦仁親王(醍醐天皇)を助けてほしいと期待していました。しかし藤原時平は「摂関家」出身であるのに対し菅原道真は家柄が低いことを理由に何度も辞退しています。藤原時平は菅原道真が自分の娘婿である斉世親王を天皇にしようと画策しているとして醍醐天皇に讒言しました。その結果醍醐天皇は菅原道真を太宰府(現在の福岡県太宰府市筑紫野市)に左遷し菅原道真は失脚しました。菅原道真の死後藤原時平や菅原道真の失脚に関与した官僚が立て続けに亡くなったことから菅原道真の祟りだと恐れる声も上がりました。朝廷は菅原道真の霊を京の北野の地に祀り神格化し天満大自在天神としました .......... 。
.......... なんか象徴的だなと感じたりする。
菅原道真と藤原時平 ... 三浦春馬と城田優みたいだったり、五代友厚とその兄五代徳夫みたいだったり ..,
世の中に在る確執のパターンの象徴的な関係 ... 。
俺の兄貴もね、藤原時平みたいな奴なんだよ。
いまだにむかつくわ。
10/31/2024, 10:42:41 PM