『今日にさよなら』
・柚穂(ゆずほ)
・秋人(あきと)
「いつまでもウジウジ泣くな馬鹿柚穂」
「だ、だって、うぅぅ……ごめんな秋人……」
しゃくりをあげている柚穂の頭に軽くグーを落とす。泣き虫な幼馴染はどうにか涙を引っ込めようと、目元を力ませ、下唇を強く噛み締めている。
やれやれだ。ぼくは大きく息を吐き、先程の惨状を思い出した。
三月二十九日はぼくの誕生日。今年で二十三歳だ。
「今年は頑張って秋人にケーキ作るんだ!」
そう張り切って出来上がったものは、ごく普通のショートケーキ。店で売るには少し不格好な、それでも柚穂が精一杯の気持ちを込めてくれたのであろう、店で見る品物とはまた違う特別なケーキだった。
夕飯も終え、よし食べようと柚穂が冷蔵庫から取り出し机に運ぶまでの間。
彼は椅子につまずき、それはもう絵に描いたのうな大転倒であった。
ケーキがどうなったかは言うまでもないだろう。
「あのな柚穂」
「うっ、うぇっ、おれのせいでゲーギが……」
「……柚穂」
「あぎどにも作るのてづだっでもらっだのに」
「…………」
「…いっだあああ! お、おでこ……」
強めにデコピンされた箇所を柚穂は手で押さえ、涙でいっぱいになった目でぼくを見た。
服の袖でぐしぐしと涙を拭いてやり、ぼくはもう一度、次は軽めにデコピンをしてやった。
「仕方ないだろうが、落ちたんだから。泣いて元に戻るんだったらぼくも泣く。でもそんなこと無理だろ。
柚穂が頑張って作ってくれてたのはちゃんと知ってるから、いいんだよもう」
「でも、一緒に食べたがっだ……」
全く、ケーキを落としてしまったくらいで泣く奴はこいつだけだろう。超がつくほどお人好しで間抜けで愚直で、良い奴め。
ぼくは柚穂の髪をワシワシと掻き乱して、彼を元気づけるつもりで言った。
「誕生日は今日しかないけど、ケーキはいつでも食える。また作ればいいだろ」
「……うん。ありがとな秋人」
ようやく泣き止んだ柚穂が、ほんの少しだけ寂しそうに笑った。ぼくの誕生日をぼく以上に喜んでいるのもこいつくらいだろう。
明日、ショートケーキの材料を買いに行くことをぼくは思い、柚穂の頬にある乾いた涙の痕を強く擦った。
「……柚穂の誕生日は、ぼくがケーキ作るか」
「ほんとか!?」
「それで、椅子につまずいて落としてやる」
「え……でも、おれも落としちゃったもんな……」
「馬鹿柚穂。冗談だよ」
2/18/2024, 12:55:17 PM