うたた寝

Open App

階段を駆け上がる。
もう何段目かもわからないまま。
見上げれば、入道雲がぐらりと膨らんでいる。
頭上からは蝉時雨が空気そのものを震わせていた。

あなたの銀糸の髪が風に翻り、その軌跡に細やかな光の粒が散っていった。
段差を跳ねるたび、光は一瞬だけ強く瞬き、そして夏の空気に溶けて消える。
眩しさに目を細めても、僕は視線を決して逸らさなかった。
たとえ夢でも、幻でも、逃したくなかった。
夕陽が傾く。
光と影が混ざり合い、僕らの輪郭はさらに曖昧になっていく。

あなたの背中は、まるで茜空そのものを渡って行くようで――。
一歩近づくたび、また遠ざかる。
焦燥と渇望が、胸の奥でせめぎ合った。

「……待って、」

声は風に呑まれた。
ただ、その背中がゆらりとひときわ強く光った。

世界が揺らいだ。
蝉時雨が一瞬遠ざかる。
夏のざわめきが静止し、時間までもが息を潜めた。
突然の激しい耳鳴り。抗うように、僕は視線を上げた。


あなたが、こちらを振り返っていた。
銀糸の髪が夕陽を受け、炎の縁取りのように燃えていた。
風に揺れるたび、光と影が絡み合い、その姿は夢のようだった。
あなたはゆっくりと微笑んで、迷わず手を差し伸べてくる。
その指先は空気を震わせ、触れるか触れないかの距離で止まっている。
儚いはずなのに、その一瞬の気配が、僕の胸の奥を強く打ち抜いた。

『僕を置いて、先に行って――』

あの時、最初に手放したのは僕の方だった。
その言葉はあなたを縛らないためのものだったのに。
結果的に、僕自身を孤独に閉じ込めただけだった。
一人では、もう気が狂ってしまいそうだった。
呻き声が僕の口からこぼれた。

一歩、踏み出す。
息切れも、恐怖も、もうなかった。
指先が触れ合った瞬間、螺旋階段は途切れた。
境界線が滲み合い、世界がほどけていく。
きっと、あなたと二人なら。
夢の底へ落ちても、何度だって。
例えこの夢が、何度繰り返してもこの結末にしか辿り着けないものだとしても。
きっともう何も、怖くない。

光に溶けるような淡いその笑みが、
僕の胸の裡を、ひとつずつほどいていく。


「――さあ、また一緒に悪い夢を見ようよ。」



――

#またね

8/6/2025, 6:11:56 PM