シュグウツキミツ

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信頼と裏切り
救済と破滅


「そんなもの後生大事にして、どうすんだよ」
「いいじゃない、私のなんだから」
聡美がぬいぐるみを抱き寄せた。古びたクマのぬいぐるみ。色はすっかり褪せ、所々ほつれが目立つ。元は茶色でふかふかしていただろう、そのクマは、聡美の腕にすっぽりと収まっていた。
ふん、と鼻を鳴らし、正人は席を立った。
リビングのドアが音を立てて閉まる。
聡美はしばらくそのクマを抱き寄せていた。

聡美はフリーのWEBデザイナーである。5年ほど小さなオフィスで働いて、3年ほど前に独立した。最初の年は顧客の確保に苦労もしたが、今では固定客が安定している。
在宅での業務のため、いつもクマを抱きしめて仕事をしていた。

正人とは学生時代からの付き合いだった。製薬会社の営業として安定した収入が得られている。正人と合わせて月収が五十万円となったのを機に入籍した。それまでも一緒に暮らしていたが、入籍のころにはお互いすっかりと関心を持たなくなっていた。

結局その後、聡美は寝室にはいかず、リビングのソファで夜を明かした。 朝になり正人が出社し、聡美はのろのろとリビングでノートパソコンを開けた。
メールやDMをチェックし、SNSに挙げていただいたサンプル画像の反応を見て、ふと自分がクマを持っていないことに気がついた。
ない、ない、ソファにもテーブルにも床にも、ない。どこを探してもなかった。聡美はもう、仕事どころではなくなっていた。

正人が帰宅すると、雑然とした部屋の中で聡美がへたり込んでいた。部屋中がひっくり返され、一瞬空き巣が入ったかと思うほどだった。
「……どうしたの」
正人が聞くと、聡美は生気のない顔をゆっくりと上げ、
「クマが……いなくなったの」
と消えゆくような声で答えた。
「ああ、やっと!あのクマがいなくなったのか」
正人が晴れやかな声で答えた。
聡美が表情の消えた顔で見つめる。
「よかった、あのクマ。いつの間にか家にはいりこんでさ、君はずっとあのクマにかかりきりだったし、せいせいした」
正人の言葉が終わるか終わらないかのうちに、表情を変えた聡美が掴みかかってきた。信じられないくらいの力だった。どこにそんな力があったのか、と思うくらい。
聡美はしばらく正人の首を揺らし、胸を叩き、喚き、そして泣き出した。
「どうするの、どうするの、やっと仕事が順調になったのに、これから私、どうすればいいの!!」
「……聡美」
聡美に乱された服も髪もそのままに、正人は静かに見下ろしていた。
「もう、やめよう。薬の売人なんてやめるんだ。そんなことで顧客を増やしたって、先はそんなに長くないよ。これでいいんだ。」

正人がクマの中からガサガサとした異音がすることに気がついたのは、一ヶ月前だった。それからクマの体の中から薬包がはみ出ていることに気がついた。ラムネのような、動物の形や花の形をしたものが入っていた。
その中で、見覚えのある形のものを見た。大麻だ。大麻の葉の形のもの。MDMA。
聡美の手から離れる所を待ち、奪い去っていたのは正人だった。
「……まったく、シロートが手を出すなってんだよ。」
正人のスマホに、また入金の通知が入った。

10/28/2025, 11:33:27 AM