"紅の記憶"
祖母の化粧箱の一番上の段には、貝殻が入っていた。
殻をあけると、その内側は深い艶を持つ緑に塗られていて。
なんだろうかと首を傾げていると、小さな筆を持った祖母が、これは紅よ、と笑って教えてくれた。
純度の高い紅を重ね塗りすると、玉虫色に輝く状態になる。これを笹紅というらしい。
水を含ませた小筆で溶くと、鮮やかな赤に変わるのが不思議で。
試しにと手のひらをなぞった線は確かに赤く色付いていた。
"これはね、あの人からの贈り物なのよ。
昔、結婚記念日に欲しいものを聞かれて、紅をお願いしたんだけどね。
あの人、私がどの赤色が好きか分からないからって、よりにもよって一番高価なものを買ってきてしまって。
こんなの日常使いできない、て言ったら、あの人、なんて言ったと思う?
来年の分を予約してきたからそれまでにちゃんと使い切れって。
それから本当に毎年同じものを贈ってくれるのよ。
だからもう慣れちゃった"
ちょっとごめんね、と赤を含ませた筆が顔をくすぐる。
あなたにお化粧したなんてあの人にバレたら怒られちゃうから内緒にしてね、と笑み含みに囁きながら、小筆が目元や唇をゆっくり滑っていく。
何度か笑い声と共に布で顔をゴシゴシ拭われながら、よし完成、の一言で目を開けた。
ちらっと見た鏡越しの自分に、内心似合わねぇなと思ったけど、祖母は非常に満足そうだった。
赤く染まった目元をなぞりながら、祖母はポツリと零した。
"私ね、あの子の結婚式でお化粧してあげるのが夢だったの。
これはね、水の量を変えたり、何度も重ねたりすることで色を調整できる。
あの子には鮮やかな赤色が映えるだろうから、何度も重ねて塗って深みをだしてあげて。
私、不器用だから時間がかかりすぎだなんて笑われちゃうかもしれないけど、それでも、花嫁衣装のあの子にこの紅を差してあげたかった。
きっと、綺麗だっただろうなぁ……"
ポタリと、涙が貝殻に落ちる。
玉虫色の紅に触れた透明な涙は、みるみるうちに鮮やかな赤へと変わっていった。
11/23/2025, 3:37:42 AM