七星

Open App

『鐘の音』

夏休みとはいえ、寺の息子である俺の朝は早い。五時に起きて本堂の掃除を済ませ、それから朝のお勤めがある。さらに朝食後には、庭掃除が待っている。昼になればまた、昼のお勤めがある。午後や夜も、寺の仕事はびっしりと詰まっている。そんな状態なので休む時間はほとんどない。

俺も来年は受験生になる。勉強する時間がほしくて、住職である父に掃除の免除を交渉してみたが、一発で却下された。

「掃除は仏道修行の基本だ。今からそうやって弱音ばかり吐いていてどうする。大学に入ったら、学年が上がるにつれてもっと大変になっていくんだぞ。そもそも、お前は宗門後継者入試を受けるんだろう。受験生であることを逆手に取るなど、とんでもない。もっとしっかりしなさい」

説教される俺を見て、中学生の弟が笑いを噛み殺していた。弟は宗門の中高一貫校に通っているため、それほど真剣に勉強しなくても大学まで進める。今さらながらに、公立校を選んでしまった自分の愚かさを思い知った気がしたが、それもこれも人生勉強のためである。ひたすらに精進するしかない。

父の説教からようやく解放され、仕方なく鐘楼の周囲を掃除していると、意外な来客が訪れた。高校の同級生である高山さんだ。

「中道。あんたに訊きたいことがあるんだけど」

いやに高圧的な態度で、高山さんは切り出した。

「野木真美子と付き合ってるって、本当?」

付き合うも何も、俺たちは終業式の日に少しばかり話をしていただけだ。それなりの進学校で、塾にも行かずに優秀な成績を保っている野木さんは、俺にとっては雲の上の人なのだ。付き合うなど、庭掃除をさぼる以上にとんでもないことだと思う。

俺がそう言うと、高山さんは冷たい目をして、馬鹿にしたように笑った。

「まあ、あんたと真美子ならお似合いだと思うんだけどね。地味で目立たないくせに、お高く留まってる。似た者同士って、こういうのを言うんだろうね」

さすがに、このセリフにはカチンときた。俺は愛想笑いを張りつけたままで、高山さんに尋ねた。

「そう言う高山さんは、予備校の方はいいの? 予備校の国立大進学コースで夏期講習受けるって、みんなに言ってたよね。さぼったら、すぐについて行けなくなるんじゃなかったっけ?」

「あんなの、楽勝だよ」

やはり馬鹿にしたような笑いを浮かべたまま、高山さんは言い放った。

「目を瞑ってたってついて行ける。大体、うちの学校は評価がおかしいんだよ。何で大して努力もしてない真美子が私より上の成績なわけ? 許せない。あれ、絶対に贔屓だから」

見当違いな嫉妬に満ちた発言をした後で、高山さんは命令した。

「いい? 真美子にこれ以上、優しくしないで。あんたたち二人ぐらい、私の手にかかったら簡単に潰せるんだから。いい加減、長いものに巻かれる謙虚さを持ちなさい」

そして高山さんは清々したとでも言うように、くるりと背を向けて寺の庭から立ち去った。

何をしに来たのだろう、あの人は。

どうせ、予備校の授業で絞られていることに対する憂さ晴らしだ。俺はそう思うことにした。

「愚か者め。いつになったら人生の真理を悟るんだ?」

もやもやとした気持ちを吹き飛ばすように、俺は鐘楼に上がる。大きな鐘は、俺たちのうちに籠もった煩悩の塊を見せつけるように、今日も重くぶら下がっていた。

「俺が地味だと思って好き勝手なことを。今に見てろ。この鐘の音で、町ごと浄化してやる」

胸を反らして、思い切り鐘を撞き始める。くぐもった音が辺りに響き渡った。

鐘の音が、高い空を突き抜けて町中を包んでいく。この町は今日も平和だ。

8/5/2024, 12:31:52 PM