sairo

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――クチイリさんへ

白い紙に書いた名前を、睨み付けるようにして見る。
宛名を書いてから、そろそろ一時間が経とうとしている。だが続く手紙の文字は、一文字も書く事が出来ず。
はぁ、と溜息を吐く。ペンを置き、紙をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に投げ入れた。


クチイリさん。
誰が始めたのか分からない、いつの間にか広まっていたおまじない。
クチイリさん宛てに願い事を書いて、その手紙を一日誰にも見つからないように持ち歩く。そして夕方、学校の裏の大きな木の穴に手紙を入れれば、願いが叶うと言う。
ただのおまじない。結局は噂話だ。願い事なんて叶うはずはない。
そうは思っても、手は新しい紙へと伸びて。そんな自分に呆れ、また一つ溜息を吐いて立ち上がる。

「おまじないなんて、意味がない」

言い聞かせるように呟く。それでもぐるぐると渦を巻く悲しみから逃げ出すように、部屋を出た。





目的もなく外に出て、気づけば学校まで来てしまっていた。
誰もいない。今日は休日なのだから当然だと思いながらも、見慣れない学校の雰囲気に息を呑む。


「…あれ?」

違和感に眉が寄る。誰もいないはずだ。それなのに。

――校門が、開いていた。

招かれているみたいだ、とあり得ない事を思う。
見上げる空はオレンジに染まり、もうすぐ夜が来ると告げている。
帰らなければ。夜が来る前に。
そう思ってはいても、体はその場から動こうとはせず。
惹かれるようにして、学校へと足を踏み入れた。



誰もいない校舎の横を通り過ぎ、裏の雑木林へと向かう。鬱蒼と生い茂る木々を抜けて、その一番奥。他の木々よりも一回り大きなケヤキの木の前で立ち止まった。
正面に開いた木の洞《うろ》に視線を向ける。
手紙は書けなかった。おまじないは出来ない。
それでも、と腕を伸ばす。もしかしたら、と淡い期待で手を洞の中へと。

「なぁにしてんだ。おめぇ」

聞こえた声に手が止まる。

「またあれか。くだらねぇ呪いをやってんのか」

くだらない、の言葉に反射的に手を引いて、振り返る。
無精髭を生やした男の人が、藁で出来た袋を担いで立っていた。
面倒だと言いたげな表情をしながらも、彼の目は鋭く真っ直ぐに自分を見定めている。
その目に宿る感情の名前を知っている。父と同じ目だ。
静かに、それでも激しいそれは、怒りだ。


「ごめんなさい」
「術師でもねぇ奴が、呪いなんざするもんじゃねぇよ。自分も回りも巻き込んで、くたばるのが落ちだ」

吐き捨てる彼の言葉に、身を竦める。近づく彼から離れるように一歩大きく横に移動すると、彼は自分の事など目もくれず洞の中に手を入れた。
がさがさと紙のすれる音がする。しばらくして引き抜かれた彼の手には、たくさんの紙の束が握られていた。

「まったく。飽きねぇもんだな」

溜息を吐きながら、紙の束を担いでいた袋に入れて行き。何度か繰り返して、彼は何かに気づいたようにこちらを見た。

「なんだ。おめぇ、呪いをしにきた訳じゃねぇのか」

強い視線に声が出ず。かろうじて頷くと、彼の視線が少しだけ柔らかくなる。
それに安堵の息を漏らし。それでも彼と目を合わせる事は出来ずに、俯きながらも口を開く。

「校門が、開いてて。気になって。それで」
「呼ばれたのか。って事は、呪いをしようとしたな」
「っ、ごめんなさい…でも、書けなかった」

服の端を握りしめる。俯く顔を上げて、彼を見た。
何故だろう。彼にすべて話してしまいたくなった。

「願いが叶う、って。そんな事ないって思ってるけど。でもおまじないしか、私に出来なくて」

彼は何も言わない。鋭さのなくなった、それでも強い目をして話の続きを促している。
俯いてしまいそうになる顔を必死で上げる。段々と滲む視界に、目を擦って耐える。

「お母さんを返して下さいって、お願いしたかったの。お母さん、目の前で消えちゃって。どこにもいなくて。だから」
「もういい。大丈夫だ、大体分かったから」

ぽん、と頭に大きな手が置かれる。少しだけ乱暴に頭を撫でられて、さっきよりも視界が滲み出す。
強く目を擦り、瞑る。深く呼吸をして、泣かないように必死に耐えた。
目を開ける。彼の強い眼差しに負けないように見つめ返せば、彼はそれでいい、と頭を撫でて手を離し笑った。

「おめぇの判断は正しい。どこでどう歪んだか知らねぇが、ここの呪いは願いなんざ叶えてくれねぇよ」

そう言って、彼は袋の中から一枚の紙を取り出す。真っ黒に染まったその紙は、中身を見なくても悪意を持って書かれている事が分かり、小さく体が震えた。

「ここはな、こういった負の感情を手紙に書いて隠す場所だった。それが溜まって呪いになり、解釈が広がって願いを叶えるなんて事になった」

はっと鼻で笑い、彼は紙を袋に戻す。
どうすっかな、と頭を掻きながら空を見上げ、そしてこちらを見る。

「確認だけどよ。おめぇの母ちゃんは、本当に目の前で消えたのか?」

彼の問いに頷きを返す。
今でも思い出せる。母は父と自分のいる前で消えた。洗濯物を干すためにベランダの窓を開けて、一歩出たその時に。一瞬で。
かたん、と洗濯物の籠が落ちる音を、はっきりと覚えている。一つ遅れて父が叫ぶ声も、照りつけるような暑さも、夢に見るほどに刻み込まれている。
それを彼に伝えれば、眉を寄せて何かを考えるようにまた空を見た。

「俺ぁ、隠す方の質だから、見つけんのは相性が悪ぃ。けど、このままなのもあれだしな。繋ぎ、取ってやるよ」
「…どういう、意味?」
「夜に窓の外を見な。星が流れたら、母ちゃんを帰してくれって願ってみろ。応えてくれるはずだ」

分かった、と頷いて見せる。
意味は分からないけれども、何故だか安堵の気持ちがあふれ出す。
帰ってくるのかもしれない。それがどんな形であっても、帰ってくるのであれば、と強く手を握り締める。

「おめぇは強い、いい子だ。特に俺の前で泣かねぇのが、気に入った。びぃびぃ泣くようなら、叺《かます》に入れて連れて行くとこだったぜ。よかったな」

にやり、と笑みを浮かべ。彼は手を振り去って行く。
その背が見えなくなって、糸が切れたように崩れ落ちる。今更ながら訪れた恐怖に体を抱いて俯いた。

「…あれ?これって」

ふと、地面に何かが落ちている事に気づく。
折りたたまれた白い紙。まるで手紙のような。
手を伸ばして紙を取る。開けば、そこに「クチイリさんへ」の文字。
自分が書いた手紙だ。書けなくて捨てたはずの手紙を前にして、少し悩む。
バックの中から、ペンを取り出す。空白の部分に一言、文字を書き付ける。

――ありがとう。

丁寧に折りたたみ、立ち上がる。

彼がそうなのかは分からないけれど。
届けばいい、と願いを込めて。木の洞の中へ、そっと手紙を隠した。



20250203 『隠された手紙』

2/4/2025, 4:43:41 AM