sairo

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眼下に広がる無数の灯りを見下ろして、空しさに目を伏せた。
人の営みの証であるその煌びやかな光の数が、昨日よりも少ない事を気にかける者はいないだろう。
昨日までの自分がそうだった。生きる事に必死で、他の誰かを気にかける余裕などはなかったから。

「結局は言い訳だな」

独りごちて、自嘲する。
余裕がないなど言い訳だ。結局は気づけないではなく、気づこうとしなかった。ただそれだけだ。
唇を噛みしめる。今更ながらの後悔に気を抜けば泣いてしまいそうだった。


「いい加減に、ぐずぐずするのやめてくんない?」

背後から聞こえた声に、びくりと肩を震わせる。
それでもどんな顔をすればいいのか分からなくて振り返る事が出来ずにいると、苛立たしげに舌打ちをされて縮こまる。

「寝ずの番をさぼるな。線香の火が消えたらどうしてくれるの」
「変わりは、ある。から」
「言い訳をするな」

刀のように鋭い言葉に、耐えていた涙が滲む。
いつでもそうだ。彼女はどんな時だって己にも周りにも手厳しい。
こんな時くらいはと思う弱い自分を、分かってはいたが見逃してはくれないようだ。
恐る恐る振り返れば、いつもと何一つ変わらない彼女の姿。悲しいくらいに見慣れてしまった、静かな怒りを湛えた表情をみれば、もう駄目だった。

「だって。もう、いない、のにっ。ひと、り、に、なって」
「五月蠅い。後悔なんてした所で、今更だわ」
「ひどいっ。ねぇ、なんで。なんで、おいて、いかれた、の。なんで」

えぐえぐと泣き出す自分を、五月蠅い、と冷たい声で一蹴される。
以前はそれが彼女のいいところだと思ってはいたが、今はただ寂しさが募るだけだった。

「まったく。人が死ぬのなんて当たり前でしょうが。違いなんて遅いか早いかくらいなものよ。人はそうやって命を巡らせているの。生きるっていうのはそういう事よ」
「でも。だって」
「五月蠅い。それが摂理だって言ってんでしょうが」

そう言って彼女は背を向ける。置いて行かれたくないと、慌てて立ち上がる自分を気にする事なく歩き出す彼女の後ろ姿が見下ろしていた夜景のように滲んで見えて、さらに涙が溢れてくる。

「さっさと寝ずの番に戻りなさい。火車に持っていかれてもいいわけ?」
「やだ。やだぁ」
「情けない声を出さないで…仕方ないじゃない。死は誰にだって訪れるわ。死に至る理由がなんであれ、たとえそれが理不尽だと思えるものであったとしてもね」

小さな呟きは彼女自身に言い聞かせているようにも聞こえ。
悲しくて、寂しくて、悔しくて。
しゃくり上げながら縋るように彷徨う手は、けれど彼女には届く事がなかった。


「なにが変わりがあるよ。消えかかっているじゃない」

消えた蝋燭の火と短くなった線香に、慌てて新しい蝋燭と線香に火を灯す。
変わりと置いていた自分の影法師を見れば、部屋の隅で静かに座ってこちらを見ていた。

「必要以上の事をしないで戻ってくるのを律儀に待つとか、本体《あんた》よりもよっぽどしっかりしているわね」

自分が戻ってきた事で、影法師は音もなく近づき影に戻る。
彼女の影法師に対する評価に思う所はあるものの、確かにそうであるため何も言えず。
ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、あらためて『彼女』と向き合った。

「昔からあんたは泣き虫だとは思っていたけれど、こんな時まで泣いて逃げ出すとは思わなかったわ」
「だって」
「五月蠅い。時間を無駄にするんじゃないわよ。折角の夜伽の時間なんだから」

最後の最後まで彼女は手厳しい。
けれどこうして向き合っていると、変わらないそれが逆に落ち着かせてくれていた。

戻ってきたからだろうか。隣にいてくれる彼女の姿が先ほどよりも滲んで見える。
夜明けまではまだ時間があるだろうが、彼女の言う通り外に出て時間を無駄にしてしまった事を少しだけ後悔する。
『彼女』と一緒にいられる時間は、もうあと少しもないのだから。

「四十九日までには受け入れなさいよ。あんたを残して逝く不安を残させないで」
「分かってる」
「どうだか…不安を未練にさせないで。化生になるのはごめんだわ」

心底嫌そうな呟きに、分かってると繰り返して。

ふと彼女のいない、あの一つ足りない街の灯りを思い出す。
減ってまた増えてを繰り返す灯は、この線香に似ている気がした。
時間と共に短くなっていく線香は、新たに差さなければ絶えてしまう。けれどその新たな線香は決して同じものではない。
短い線香を惜しみ燻り残る滓を留めようとするのは、彼女には酷く不釣り合いだ。

「大丈夫。そんな事はさせない。そんなのは、やだ」

止まらない涙を乱暴に拭う。歯を食いしばり、溢れそうになる嗚咽を噛み殺した。
そんな自分を見つめる彼女は、変わらない冷めた表情の中に悲しみが浮かんでいるように見えて胸が苦しくなる。

「大丈夫だから。少しは信用してよ」

自分にも言い聞かせるように、大丈夫の言葉を噛みしめて。
心配をかけないようにと、無理矢理に笑顔を作ってみせた。

「信用しているわよ。いつだって、あんただけを」

困った子供を見る目をして、彼女は薄く笑う。
ようやく見せてくれた笑顔につられて、作ったものではない自然な笑みが浮かんだ。

まだ笑える。まだ生きていける。
寂しいと叫ぶ心に蓋をして、夜が明けるまで新たな線香に火を灯しながら。
最期の彼女との時間を、ただ只管に語り合った。



20240919 『夜景』

9/19/2024, 11:25:11 PM