すゞめ

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いつもありがとうございます。
今回は昆虫を題材にしています。
虫が苦手な方は、次の作品をポチッとして自衛をお願いいたします。
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 俺なんかよりずっと忙しなく日々を駆け抜けているというのに、彼女は時間を無駄にする天才である。
 朝6時には走り込みに行く彼女は、俺より早く起きて身支度をして出ていった。
 それから約2時間、彼女が帰ってくる気配がない。
 倒れていないか心配になり、連絡を入れたらすぐに既読がついた。

『今、公園。ちゃんと生きてるから大丈夫』

 メッセージも送られてきて心底ホッとする。
 彼女の無事を確認できたため、俺も買い物に行くための準備を始めた。

   *

 とはいえ心配ではあるから、念のため凍らせたペットボトルを携帯する。
 そして、公園に立ち寄る途中で彼女と鉢合わせた。
 暑さで顔は真っ赤になってしまっているが、元気そうである。
 汗を滴らせ、興奮した様子で彼女は俺を見上げた。

「ねえ、虫って平気!?」
「え、えぇ……。虫、ですか?」

 俺の心配をよそに開口一番、彼女は返答に困ることを口走った。
 正直、虫の種類や状態によるとしか答えられない。
 手放しに虫全般が得意なわけではないため言い淀んでいたら、キラキラした眼差しと笑顔で声を弾ませた。

「ベンチで羽化してたセミがいて、写真撮ってた」
「は? なんですかそれ、見たいです」

 大丈夫なタイプだったし、めっちゃ興味をくすぐられる内容だった。
 歩道の隅に寄って、彼女の携帯電話を覗き込む。

 彼女が写真に収めたときには既に殻から出てきていたようで、きれいな薄緑色の翅がピンと伸びていた。
 しかし、出てくるときに折れたのか脚の部分が1本、殻に引っかかって取り残されている。

「……これ、ちょっと羽化失敗しちゃってません?」

 真っ黒でつぶらな瞳が物悲しげに写っているように見えるのは、俺のエゴだろうか。
 視線を彼女に移すと、彼女はあっけらかんとしていた。

「さあ? 最終的に元気そうに飛び立っていったから大丈夫なんじゃない?」
「……へえ。たくましいですね」

 数分おきに撮っていたのか、けっこうな枚数の写真が収められていた。
 薄緑色の翅が透き通り、徐々に茶色く色づいて乾いていく様子が見てとれる。
 俺が小学生くらいだったら夏休みの自由研究の題材にしたいくらいだ。

 セミの観察記録は、抜け殻だけが残った写真で締めくくられている。
 殻に取り残された脚が自然界の厳しさを物語っていて、なんとも切ない気持ちになった。

「羽化の失敗ならもっと別の写真があるよ?」
「え?」
「……でも、こっちの写真は覚悟が必要かも。どうする?」

 神妙な顔つきで前置きをされるから、俺はごくりと唾を飲む。

「ぜ、ぜひ。お願いします……」

 羽化失敗と称された別日の写真。
 そこには翅が全部縮れたままの状態で乾いてしまったセミや、殻から抜け出せずに頭だけ乾いてしまったセミ、羽化すらできなかったセミの幼虫が写されていた。

 こんなものよく集めたな!?
 てか、そもそもなんでそんなにセミの写真撮ってるんだ!?

「風が強い日だったから、羽化してる途中で吹き飛ばされちゃったのかも」

 狼狽える俺に彼女が羽化に失敗した仮説を立てたが、そうではない。
 気になっているのは自然の摂理の残酷さよりも、彼女の行動原理だ。

「えっと、なんでセミなんです?」
「SNSのネタになるかもって」
「なるほど?」

 かわいい顔してアンテナの張り方が小学生だった。
 これはこれでかわいいけども。
 かわいすぎて誰にも知られたくないくらいだ。

 年度初めにSNSを開設した彼女は、よく写真を撮るようになった。
 彼女が見た景色を共有できる貴重な機会である。
 どうせ載せられない写真なら、自宅に戻ってあとでゆっくり吟味したい。

「その写真、俺にも流してもらうことって可能ですか? どこにも載せないので……」
「いいよー。スタッフさんからはこの写真は使えないって言われちゃったし」

 は?

 スタッフのクセに彼女の魅力をなにひとつ理解できていないとはどういうことだ。
 この絶妙なバランス感覚が彼女の魅力だというのに、セミの写真を使わないとか意味がわからない。
 魅力大爆発のコンボしか起こらないのに由々しき事態だ。
 やはり彼女の真の魅力を理解できるのは俺しかいない。

「もしかして、セミのほかにも昆虫とか撮ったりしてるんです?」
「え? んーっと、先週くらいにカマキリが交尾してる動画は撮ったよ? 見る?」

 調子に乗ったら彼女の画像ストックからとんでもないものが出てきた。
 さすがにカマキリの交尾はアウトである。

「あ、それは遠慮しておきます。そろそろ俺、買い物行かないと。少し溶けちゃいましたがペットボトル保冷剤代わりにどうぞ」
「そっかー……。引き止めてごめんね?」

 うぐ。

 しおしおとペットボトルを受け取る彼女には申しわけないが、無理なものは無理である。
 
「セ、セミの画像は楽しみにしてますから、帰ったら送ってくださいね!? ねっ!?」
「うんっ! わかった!」

 ぱあぁっと輝きが戻った彼女の笑顔にホッと胸を撫で下ろし、俺は買い物に向かうのであった。


『君が見た景色』

8/14/2025, 11:59:03 PM