コーヒーが冷めないうちに
「コーヒーが冷めないうちにどうぞ」
そう言って正面のソファーに座る
貴婦人にコーヒーカップに入っている
コーヒーを勧められる。
私は、そっとカップの取っ手を持つと
ゆっくりとコーヒーを啜る。
猫舌の私は、もう少し冷ましておきたかっが そんな事は、お首にもださず
なに食わぬ顔で貴婦人に穏やかな笑顔を
向け「ありがとうございますとっても
美味しいです」と辺り触りの無い感想を述べる。
そうして、暫くの沈黙が続き貴婦人が
ソーサーからカップを持ち上げコーヒーを
啜るとおもむろに切り出した。
「それで主人は、帰らないと貴方に仰っているのね?」
貴婦人のその尋ねに対し私は、正直に
「はい...」と顔に苦笑を浮かべながら
述べた。
それに対して貴婦人は、はぁと呆れた
様に溜息を吐いて眉間に皺を寄せ続ける。
「全くあの人は良い歳して夫婦喧嘩で
私に言い負かされた位でヘソを曲げて
貴方にも迷惑を掛けて信じられないわ!」
夫人は、片手を額に当てて呟いた。
それに対して私は、再び苦笑して
「先生も奥様を思ってした事ですので
そこら辺はご勘弁をお願いします」と私は、深く頭を下げた。
それに対して夫人は、顔を少し俯けて
「分かっています!私とあの人の結婚記念日ですもの....奮発してくれるのを嬉しく思わ無いわけないじゃありませんか....唯...」
夫人は、落とした視線を自身の左手の薬指に注ぐ....「それでも....この指輪を
アンティークショップに返そうなんて何の気なしに言う物だからつい語気を荒げてしまったの....」
夫人は、淋しそうに顔を歪める
「その指輪は、本物の指輪では、無いですよね...」私は、夫人の機嫌を損ね無い様に
確かめる様に言葉を発した。
「ええ....でも....あの時は、あの人もお金が無かったから....石も軽いイミテーションで
リングもプラスチック製のこのおもちゃの
指輪を安く買うのが精一杯だったの....
きっとあの人にとってあの頃の自分は
劣等感の塊できっとコンプレックスなの
でしょう....」夫人はそこで言葉を切り
また黙り込む
私は、コーヒーカップを持ち上げやっと
猫舌の私でも飲める温度になったコーヒーを今度は、口の中で味わう様に飲む
そうして私がコーヒーカップをソーサーに
置くと夫人は、また話し出した。
「それでも私は、嬉しかった 値段なんて
見てくれなんて関係ないあの人が私の為に
買ってくれて真心を込めて贈ってくれたのが限り無く嬉しかったのです....
それなのにあの人は、そんなおもちゃの指輪はやめて本物の指輪を嵌めて欲しいんだ
なんて言うからもちろんそれも嬉しかったですよ....だけど....」夫人は、左手の薬指の
指輪を右手の人差し指で弄りながら幼い
少女の様に唇を尖らせる。
そうして少し拗ねた様に「これを手放す
なんて出来ません」と夫人は、きっぱりと
断言する。
私は、そんな夫人の様子を見てやれやれと
肩を竦める。
そうしてコーヒーを飲むフリをしながら
廊下に続くドアに呼びかけた。
「だそうですよ先生 愛されてるじゃないですか」私がドアに向かってそう呼びかけると控えめにドアが開かれ話題に上がっていた本人が眉を下げてすまなそうに私の向かいの夫人を見た。
夫人も自分の主人のその姿に目を丸くする。
そこからは、もう説明は、不要だろう....
コーヒーが冷めないうちに片手間に済ます
事は出来なかったが温くなったコーヒーと
反比例するかの様に二人の温度は、沸騰したばかりのコーヒーの様に周りの体も暖かくなる様な出来たてのコーヒーの温度を
部屋中に維持し広い部屋に満たし続けていた。
9/27/2025, 9:42:30 AM