郡司

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意味がないこと…ってあるのか?

昔、ある映画を見たとき、「キーッ!!私の時間を返せ」などと感じて怒り心頭に発することがあった。タイトルは伏せるが、当時映画評論家だったおすぎ氏も同じ言葉を吐き出していたので、テレビを見ながら「うんうん、そうねアレ酷いわ」と思った。

しかし、しかしなのだ。
私はその映画を見たことで、「自分の二時間を無駄にした」と怒ったのだが、同時に「生きる二時間ってものすごく貴重で大切なものなんだな」と実感したのだ。これは理屈抜きで、直覚的な実感だった。
そして、その感覚は、その映画を見なければ気づくこともなかった気がする。

今でもあの映画を見ようとはまったく思わない。
でも、「生きてる時間は自分にとって貴重なもの」という、滅多に経験できない感覚を得ることができたことには、ものすごく意味があったと思う。

「そよ吹く風が頰を撫でてゆくことにすら意味があるのに、心を貫くような哀しみに意味が無いなどということがあろうか。そんなことは絶対にない」と、古き時代の人の言う。心に、新しい発見に、自分自身を育む何かを見つけることができるものには、確かに「出会う」だけの意味があるのだ。

意味するものが、それによって自分の資質を伸ばすものが、何も見つからないでうろうろするときの私は、その時点ではまだ、それに関して「未熟者」なんだろう。
今のところ、意味を探しても見つからないまま諦めて「敗北を喫したまま」のものは、幸いにして無い。
しぶとく辛抱強く、意味を見つける。無理矢理こじつけようとしても、ほかならぬ自分を誤魔化すことはできない。

そのこと自体にも、確かな意味がある、と思う。

11/8/2023, 1:24:16 PM