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静寂の中心で

「沈んじゃおうか、二人で……」

君と二人、誰もいない夜のプールに忍び込んだ。服を着たまま飛び込んだ水の中。全ての音は消え去った。
透明な水の中で、僕らはただ見つめ合っていた。
あの頃僕らの周りには、たくさんの音や光が溢れていたけど、その瞬間だけは君と二人、世界から切り離されて静寂の中にいるみたいだった。
考えてみれば、君が言った「沈んじゃおうか」なんてセリフ、あれってけっこう凄いセリフだったよな。後にも先にも、僕の心を震わせたのは、君が言ったあの言葉だけ。君が望むなら僕はどこに沈んだってよかったんだ、プールの底でも海の底でも。
だけど僕らはすぐ、水の上に出た。
空気は必要だからね、特に君はそうだった。
僕と沈むより、水の上を泳ぐことを選んだ君。
シャツを脱ぎ捨てた君は、長い手足を動かして水面を揺らした。そのたびに水はキラキラと光を反射していた。
今でも僕は鮮明に思い出すことができる。
奇跡的だよ。人生で一度でも、あんな風に誰かと静寂を共有出来た瞬間があったなんて。
時々思うんだ。あのまま沈んでいけば、僕らは本当に静寂の中心へとたどり着いたのかもしれないと。
あれから君は変わった。
水の上に出るためには、何かを沈める必要があったんだ。君は君らしさを一つ沈めてちゃんと大人になった。
僕が沈めたもの──それは君への想い。
今でも夜のプールの底に潜り込めば、僕らが沈めたものが、変わることなくあるはずだ。透明な水に守られて、静寂の中でひっそりと淡い光を放っている。


10/8/2025, 3:57:11 AM