シュグウツキミツ

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「ひょっとしたら、風邪をひいたのかもしれない」
僕が呟くと即座に
「んなわけないだろ」
と応える。
「だってさ、寒いよ?なんだか体が冷たくなったし」
「じゃあ俺も風邪かなぁ?」 
もう一人が尋ねるが
「だからそんな事ありえないだろ」
と応える。
先日美術館に向かってるであろう人達が
「寒い寒い」「こんなに冷えちゃって」「風邪ひいたよ」などと口々に話していた。
(体が冷えると風邪をひくのか)と思って言ってみたのだが、違ってたらしい。
「じゃあ風邪ってなに?」
「しらないよ。ニンゲンのビョウキの一つだろ」
「じゃあ俺達もかかるかもしんないねぇ」
「かからないよ、ニンゲンじゃないから」
「僕達ニンゲンじゃないの?体はそっくりだよ?」
「じゃあ俺達はなんなんだよ」
「チョウコクだよ」
僕たちは美術館の前にいる。ずっといる。朝も昼も夜もいる。暑くても寒くても暖かくても雨でも。かれこれ百年近く前にオーギュスト・ロダンという人が作った彫刻の型から、僕らは作られた。生まれたときから三人だ。膝のあたりまで落した拳を三人で突きつけている。膝を曲げ、合わせた拳に目を向ける。自然と首は項垂れる。
僕の右隣はいつも冷静だ。現実を解き、事実を重んじる。
対して左隣はいつも陽気だ。なんでも思ったことを口にしては右隣に窘められる。
僕は……僕はなにも知らない。わからない。世界のことを知りたいとは思うのだが、こうして固定されているから周りのことしかわからない。聞いたことや起こったことで図ろうとするが、よく間違えるらしい。右隣に窘められる。
世界のことを知りたいのは他の二人も同じようで、左隣は「お、鳥が止まった」「なんか落ちてきた。木ノ実かな?」「虫がぶつかった」などと、自分に起こったことを呟いている。右隣はどうしてこんなに冷静でいられるのだろう。
「君は世界をどうやって知ろうとしているの?」
と尋ねると、右隣は
「考えているのさ。思考こそが世界を知る唯一の方法だ」
と応える。
考えるにしても材料が無いことには考えられない。
「僕はどうやって世界を知ればいいのだろう……」
思わず呟くと、
「お前、気づいていないのか?お前がそうやって色々知ろうとしているから、こいつは自分に起こったことを受け止めて、それを元に俺が考えているんだ。忘れたのか?俺達は三人で一つなんだ」
ああ、そうだった。僕が関心を外に広げているから、自分に起こったことを考えられるんだった。

僕達は今も美術館の前にいる。どうか皆さん、良い鑑賞を。

12/16/2024, 11:54:54 PM