sairo

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探し物の途中、タイトルの書かれていない本を見つけた。
本棚に並ぶ他の本と変わらない、シンプルだけど綺麗な装丁。タイトルも作者もないその本が気になって、思わず手に取っていた。
背表紙だけでなく、表紙にも何も書かれてはいなかった。不思議に思いながら、何気なくページを捲る。
やはり、中身も他の本と変わらない。等間隔に並んだ活字に、益々謎が深まった。
何が書かれているのだろう。ページを捲り、文字を追う。

――その時の出会いが、きっと私の全てを変えてしまった。

最初の一文に少しだけ眉が寄る。
小説を読むのは嫌いではない。恋愛小説だって読むことはある。
それでも続きを読むのを躊躇したくなったのは、自分の中の気持ちと似ている気がしたからだ。

――入学したばかりの頃、突然雨に降られたことがあった。傘を持ってくるのを忘れて、ざあざあと音を立てて降る雨を憂鬱な気持ちで見ていたのを覚えている。

似ている。気がするのではなく、本当に似ているのだ。
入学して数日後の放課後。急な土砂降りにどうすればいいのか分からず、昇降口で長い間佇んでいた。

――傘を差し出してくれた彼は笑っていた。もう一本あるからだなんて、そんな嘘までついてくれた優しい彼に、私は一瞬で恋に落ちた。

その一文を目にして、反射的に本を閉じる。

「何……この、本……」

本の語り手は自分だ。それはただの予想ではなく、確信だった。
誰が、何のために本を書いたのか。元の場所に本を戻しながら考える。
ただの嫌がらせにしては手が込みすぎていて、何より彼に傘を貸してもらった時に、他の誰かの姿はなかったはずだった。

「そういえば……」

ふと最近噂になっている話を思い出す。
言えない言葉や思いが多くなると、体から溢れてしまうらしい。
その話では、手紙という形で現れるという。言えない言葉を吐き出せば手紙は跡形もなく消えてしまうが、言えないままならその言葉ごと手紙は燃えて、二度とその言葉を口にすることができないのだとか。
本と手紙という違いはあるものの、それ以外では共通するものが多い。
何も書かれていない背表紙を見ながら、唾を飲み込んだ。このまま彼への想いを口にすることができなかったのなら、どうなってしまうのかを想像し、小さく体を震わせる。

「――でも、言える訳がない」

唇を噛み締め、呟いた。
告白する勇気がないというのもある。
だが想いを口にするのを躊躇う一番の理由は、親友もまた彼のことが好きだからだった。



机の引き出しに入っている本を見て、密かに溜息を吐いた。
あれから数日。本は色々な場所に現れるようになった。まるで中身を見ろと言わんばかりに現れる本に、最近は逃げるのを諦めて中身を見るようになっていた。
本の表紙を捲り、新しく記載された部分に目を通す。

――先生に頼まれて運んでいたプリントを、代わりに運んでくれた彼。そのさりげない優しさがとても嬉しくて、同じくらいに苦しい。

無意識に眉を顰めていた。さっき起こった出来事を、自分の気持ちを添えて文字にされているのを読むのはあまりいい気分ではなかった。

――親友が彼と楽しそうに話しているのを見ているのが辛い。早く言わないと、彼を取られてしまうかもしれないのに、言う勇気が出ない。

取られるなど、まるでもののような言い方だ。そんなことは思っていないはずだと、頭では分かっていながら、けれどそう言い切れない自分自身に嫌気がさす。
彼に告白したとして、必ず受け入れられる訳ではない。それに親友との関係が変わってしまうかもしれないことが怖い。そう思っているが、何故か本には一度もそんな不安は書かれてはいなかった。
顔を上げて、教室の入口の方へと視線を向ける。
笑顔で何かを話している親友と彼。胸が苦しくなるけれど、お似合いの二人だとも思ってしまう。
優しい彼と、優しい親友。周りに馴染めない自分を助けてくれたのは、いつだって親友だった。
離れたくなくて、進学先を彼女と同じ学校にした。それくらい自分の中では、親友の存在は大きいのだ。

「言えるわけがない」

ぽつりと呟いて、本に視線を戻した。
ページを捲る。何も書かれていないページをただ見つめていれば、じわじわと文字が浮かびあがってくる。

――結局、何も言えなかった。幸せそうな二人を見ながら言えばよかったと後悔しても、もう手遅れだった。

予言のような言葉に苦笑する。確かに自分は、結ばれた二人を見て後悔するのかもしれない。
けれど自分で決めたことだ。それを後悔するというのは、何だか酷くおかしかった。
込み上げる笑いをかみ殺しながら、またページを捲る。
白紙ではない。そこに書かれていた一文を読んで、目を瞬いた。

――でもこれで、彼や親友への想いを全部、忘れられる。

どういう意味だろうか。
ページを捲っても、それ以降には何も書かれてはいない。待っていても、文字が浮かび上がることは二度となかった。



翌日。
目が覚めると、不思議と心が軽い気がした。
ようやく自由になれたような、そんな晴れ晴れしい気持ち。無意識に表情が緩むのを止められない。
いつもより元気よく家を出て、学校に向かう。見慣れた通学路が煌めいて見えて、益々嬉しくなってしまった。


「おはよう」

教室に入ると、友人がこちらに近づいてきた。
どこか浮かないような、それでいて幸せそうな顔をしている。
話したくて堪らない出来事があるけれど、それを言うのを躊躇っている。そんな友人の様子が不思議で首を傾げた。

「あの、ね。昨日、彼にね……」

おずおずと昨日あったことを話し出す。
放課後に、彼に告白したこと。そして恋人になれたこと。
最後にごめんねと言われて、意味が分からなかった。何故謝る必要があるのだろうか。

「えっと、おめでとう?よかったじゃん」
「え……あり、がとう。でも……」
「でも?……あ、そろそろホームルーム始まるよ」

ちょうどチャイムが鳴り、担任が教室に入ってきた。何かを言いたげだった友人は、けれどそれ以上何も言わずに、席に戻っていく。
彼女のことが分からない。付き合えた報告をされるのもそうだが、もっと嬉しそうな顔をしたらいいのに。
そんなことを思いながら、担任の話に耳を傾けた。



探し物の途中、タイトルだけが書かれた本を見つけた。

「恋物語?」

気になって本を手に取る。作者の書かれていない本は、それでも他の本と同じようにシンプルだけど綺麗な装丁がされていた。

「少しだけ、いいよね?」

誰にでもなく呟いて、本を手に机に向かう。
進路を変更したため、今よりももっと勉強をしなければいけないのだが、今日くらいはいいだろう。
椅子に座り、表紙を捲る。どんな物語なのか楽しみで、ページを捲る手が急ぐ。
どうやら、一人の少女の恋の芽生えから終わりまでを書いた物語らしい。恋と友情の間で迷う感じがリアルで、読み進める手が止まらない。
今日は本当にいい日だ。朝から気分がいいし、そのせいか頭が冴えて本当に行きたかった学校に進路を変更することができた。
そして、この不思議で面白い本にも出合えて、気分は最高に良い。
一瞬だけ友人の顔が浮かんだが、すぐに消える。
今日は何故だか誰かのことを考えたりせず、自分のことだけを考えていたかった。

「そういえば、前もこんなことがあったような……?」

同じように探し物をして、本を見つけた気がする。
その時は何を探していたのだろう。そしてどんな本を見つけたのか。
けれどいくら思い出そうとしても、何一つ思い出すことができなかった。



20260518 『恋物語』

5/19/2026, 6:18:30 PM