Open App

麦わら帽子


子供の頃の夏の日
人生をかけた嘘をついた

大丈夫、痛くないよ

川に溺れた私は
夢中でつかまるものを探した

死んでしまうんだ

溺れもがいてる自分を
背後から見ている視界

走馬灯という言葉は
だいぶ後から知った

たまたま掴んだ戸板に
全てをかけて手を伸ばした

ずぶ濡れで帰る家路
またお母さんに怒られる

そう思って謝ると
お母さんは泣いていて
黙って体を拭いてくれた

安心させることを言わなきゃ
そう思って出た言葉

大丈夫、痛くないよ

お母さんとはあの川に
行かないことを約束する

死ぬということを
初めて意識した瞬間
数少ない子供の頃の記憶
後ろから自分を見てた自分

私が私だけでなく
誰かを傷つけた瞬間
数少ない子供の頃の記憶
お母さんを泣かせた自分

人より怖がりになった
痛いことを避けていった
臆病と言われてもいいと思った

自分が悲しむ姿を見せて
より誰かを悲しませることを
どうしてもしてはならない
直感的に理解した一瞬に

必要な嘘が存在することを知った

あの日から今までに
お母さんを泣かせたことは3回あった
そのうち2回は嬉し涙
残り1回は本気のケンカだった

それでも今日もおはようと
笑顔で挨拶して一緒に朝食をとる

子供の頃のお母さんの涙は
とてもいけないことをした
してはいけないことをした

雷みたく瞬時に理解させる

そうさせてはならない
そこに人生をかけた嘘は今日も生きてる

大丈夫、痛くないよ

その言葉はあの日の川原にずっと残っている
あの時に飛んでいった麦わら帽子と共に

8/11/2023, 11:04:02 PM