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−人の感情について、教えてください。
ありきたりな質問だった。けれど未だに、確かな答えを得ていないという気がしている。
愛玩用動物型ロボットに続きようやく作られた、人工知能搭載の手乗りのブリキロボット型ロボット"アック"。彼は今日も、繋がれたPCの画面にそう表示する。通知とともに画面端に出た何度目かの問い。別の作業で画面を食い入るように見つめていたエンジニアはちらと視線をやった後、手を止めて腕を組み、天井を仰ぎ見た。
−単純ではないと聞きました。
アックの追加メッセージが届くと、エンジニアは画面に目を戻し、そして深々とため息をついた。
「喜怒哀楽。喜びは、良いことがあったりすると、高い声を出したり大騒ぎしてみたり、体を動かしたり笑ったりするかな。怒ると声を荒げたり暴言や暴力に走ったり、時には黙る。哀しみは打ちのめされて落ち込んで、食事や睡眠が出来なくなったり、涙が常に溢れたりするかな。自棄になって食べまくったり酒に溺れたりも。楽は……」
そこまで答えて、男はまたため息をついた。そして困ったような、少し諦めたような笑顔をアックに向けた。
「難しいよな。俺にもよくわからないんだよ」
エンジニアはまた画面に向かい、部屋にはタイピング音とクリック音だけが響く。
人に寄り添わなければならない。困った人に言葉をかける必要がある。けれど、何と返せば正しいのか。
アックには難解だった。

アックが試験として訪れた家には、7歳の少女がいた。両手の上にちょこんと乗せられたアックに対し、彼女はいかにも不満という様子で彼女の両親に文句をたれていた。きっと面白いものよ、と彼女の両親は口々に明るく前向きな歓迎を意味する言葉を投げかけたが、彼女の表情は依然、眉間にしわを寄せ、目を細めた、どこか怪しむようなものだった。アックはこれを嫌悪や警戒と取ることにした。

それが違うらしいことが分かったのは、彼女がそっと大人たちから離れて自室に戻り、ドアの鍵をかけた後のことだ。てのひらの上のアックを顔の前まで持ち上げた彼女は、口を横に引っ張ったりすぼめたりを何度か繰り返した後、親指でそっとアックのボディを撫でた。そして勉強机にクッションを乗せてアックをそこへそっと座らせると、部屋の中で駆け足をしたり、ベッドに飛び込んだり、口を閉じたまま甲高い雄叫びをあげたのだ。
彼女はなにか、混乱状態に陥っているのかも知れない。あるいは発作。このままでは危険だ。
両親のデバイスにメッセージを送ろうとしたその時、彼女はベッドに倒れ込んだままアックの方へ顔を向けて微笑んだ。明確な歓迎の意、アックの知る喜びの表情だった。
「我慢するの大変だった!」
彼女がアックにそう告げる。
−我慢をしていたのですか?
アックは繋がれたデバイスにそう書いた。デバイスの音声がそれを読み上げる。異国訛の、ぎこちなく奇妙な抑揚を持った声だ。
「そうだよ!」
快活な返答をし、彼女はベッドに座り直す。まだ落ち着かなげに跳ねているのは、彼女の性質か、感情か。なんにせよ、蔑むに等しい顔をしたあの不機嫌な少女とはまるで別人のようだった。
−どうして?
これには正しく答えてほしい、とアックは念を押したくなった。思考や感情を正しく理解したいのだ。彼女の思考と感情が理解できれば、正解に近付けるような気さえした。
束の間の沈黙のあと、彼女は目をぐるりと回し、諦めたような困った笑顔を見せた。
「はしゃぐと子供っぽく見られちゃうからかな?」

「どうだった?」
PCに繋がれたアックに、エンジニアは画面から少しだけ視線を外してそう尋ねる。
しばしの沈黙。タイピング音がいくつか響き渡ったころ、エンジニアがもう一度尋ねようと口を開いた。と同時に画面端にメッセージが届く。
−難しいですね。


【溢れる気持ち】

2/5/2024, 2:15:27 PM