池上さゆり

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 梅雨入りすると天気予報で言っていたのに、私は肝心の傘を持ってくるのを忘れていた。ここから駅まで徒歩十五分。いくら土砂降りの雨ではないとはいえ、この雨の中を歩いたらびしょ濡れになることぐらいは目に見えていた。どうしようかとため息をつく。
「傘忘れたのかよ」
「げっ」
 声をかけてくれたのは、いつも一緒に赤点補習を受けている違うクラスの男子だった。
「げってなんだよ、失礼だな」
「ごめんごめん、つい本音が……って部活は?」
「野球部にこの雨の中練習しろって鬼畜だなお前」
 そんなつもりはないと両手を振って否定する。
「それより、傘ないんだろ。俺の貸すから、ほら」
 そう言って差し出してくれたのは真っ黒な大きな傘だった。申し訳なくて受け取れないと言うと、気にしなくていいと言われた。半ば押し付けるように、無理矢理私の手に傘を握らせると彼は雨の中を走っていった。
「返すのいつでもいいから!」
 そう言われて、傘を受け取るとなんだか変に意識してしまった。だが、意識している自分が恥ずかしくて、傘を広げた。広げてみると、二人は余裕で入れそうなほど大きかった。こんなに大きいなら一緒に帰っても良かったのにと思ったが、恥ずかしくてそんなこと言えないということに気づく。駅までの長い道の中、目立つ大きな傘で歩いているうちに、声をかけられた瞬間から一緒に帰るのだと期待した自分がいた。 
 駅に着いて、傘を閉じる。すると、傘にタグがついたままになっていた。それを見て笑みが溢れる。
 明日、もし晴れたらこの傘を彼に返そう。
 そして、次雨が降ったときには一緒に帰ろうって誘うんだ。

8/1/2023, 1:53:33 PM