泳ぐ鯉

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つまらないことでも


「みろよあれ、『明けの明星』ってやつだ」
「『明け』じゃなくて『宵』ね。ほら、さっさと帰るよ」
ちがいがわからん、などと頭の悪い発言が背中から聞こえる。今さら驚くことじゃない。こいつのアホさはよく知っている。歩き出すわたしの後ろをパタパタとだらしない足音がついてくる。窓から射す夕焼けが白い廊下を赤く染め、斜めに引き伸ばされたひょろ長い影が床から壁へまたがっている。前を歩くわたしよりも、後ろを歩くアイツの影の方が長かった。わたしの一歩分は、アイツの半歩だった。昔から一緒にいるから些細な違いなんて気づけないけど、いつの間にかこれほどの差が生まれている。過ごす時間だって少しずつ減っている。お互いの領域が日々と共にずれていく。当たり前のことを受け入れるのがこれほど難しいと、幼いわたしは知らなかった。アホはどっちだ。わたしはどんな些細なことでも、すべての一瞬を取りこぼしたくなかった。なんて頭の悪い願いごとだろう。

8/4/2024, 2:36:45 PM