夜の海
それは静かな夜だった。
水面には夜だけが映る、そんな時間。海に着いた時ちょうど月明かりが出てきて、夜だけだった海にぼんやりと儚い光がさす。
そこに浮かんだ色素の薄い髪が月明かりに光って息を止めた。
「_ッ!!!」
名前を呼んで転がるように砂浜を蹴った。足がもつれようと、砂が行手を阻もうと構わず、砂を蹴り走り続けた。息を切らす途中、何度呼んでも振り返らなかったその人は、まるで月夜に導かれるように振り向いた。
「…ごめん」
そういってくしゃりと笑って、目尻から一粒の雫が落ちた。まるで、消えるさだめ定めの星屑の様なそれ。
そうしてまた顔を背けようとする。これを逃したら今度こそ、もう、本当に逢えなくなると思った。
だから、全ての力を振り絞って海へ入った。絵の様に動かなかった水面が、バシャバシャと汚く音を立てる。それでいいと思った。
そうして引き寄せて、もう離さないと誓おう。
このまま海に溶けてしまってもいいと言おう。
だから今は、ただ、己の胸に抱かれて欲しい。
静かになった水面には、ひとつになった影がだけが映っていた。
8/15/2024, 5:12:25 PM