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書く習慣:本日のお題「愛を叫ぶ。」

「愛を叫ぶ。」で連想したものは二つあった。
Every Little Thingの楽曲『Grip!』と、片山恭一の『世界の中心で、愛をさけぶ』である。

『Grip!』を選ぶと犬夜叉オタクが桔梗と七人隊と白心上人について熱く語り始めてネタ被りになるので、今回は『世界の中心で、愛をさけぶ』(セカチュー)について語ろうと思う。

セカチューのドラマを見たのは小学生の頃だった。ドラマの後で映画版も観たが、やはりドラマの方が尺が長い分エピソードが充実している印象だった。ドラマと映画で色々と違ったため、原作はどうなっているのかと興味が湧いて図書館で小説も借りて読んでいた。この頃から原作厨の兆しがあった。

今回の文章を書くにあたって、ドラマと映画の年代を調べてみて驚いた。なんと、映画が公開された2か月後にドラマを放送していた。恐ろしいスピード感だ。

少しだけ脱線すると、セカチューの1年後には同じような公開スケジュールで『電車男』の映画とドラマもやっていた。私はまずドラマを観て、映画も観て、原作(単行本)を読み、2ちゃんねるを見に行って本格的にネットの住人になった。

父がドラマ版の『電車男』でネットスラングをいたく気に入り、小学生だった私に「『詳細キボンヌ』ってどういう意味? ちょっと調べてみてよ」と快くインターネット利用許可をくれたのだった。

当時は私の検索能力がカスすぎて元ネタに辿り着けず、「詳細キボンヌ」の用例を集めて「キボンヌは『希望する』ということらしい。語感がよかったんじゃないの」といい加減なことを言っていた。

ちなみに今ではきちんと情報がまとめられており、「『詳細キボンヌ』は詳細を希望するの意。元ネタは金沢イボンヌ。金沢イボンヌは2000年シドニーオリンピックに出場した陸上選手」という内容が出てくる。ググるとまず「詳細キボンヌは死語」と表示され、インターネット老人は「ですよね」と苦笑するしかない。

閑話休題。

『世界の中心で、愛をさけぶ』では、主人公のサクちゃんとヒロインのアキがカセットテープに声を吹き込む音声版交換日記をやっていた。今ならLINEでも各SNSのDMでもなんでもあるが、ドラマがやっていた当時はまだスマホはなく、ガラケーも持っていない人がいるくらいの時代だったと思う。

小学生の頃は「恋愛=高校生以上がするもの」という先入観があり、セカチューに感情移入することができなかった。「クラスの男子で誰が好き?」と聞かれたら、とりあえず普通の女の子を装うためにかっこいいことで有名な同級生の名前を出していた。全方向に失礼千万である。

恋愛的情緒に欠けていた小学生の私は、「友達がアキみたいに病気になってしまったら?」と考えてみた。ナチュラルに自分を健康な主人公側に設定するところが本当に自分本位なクソガキである。

しかし、大好きな友達に置き換えて想像したことで、ようやくセカチューの視聴者と同じ涙を流すことができた。「人に紛れて暮らす魔物が、初めて人間の情緒を理解した」的なアレである。感動純愛ストーリーに感情移入したことで魔物の気持ちを自動インストールしたのが、非常に自分らしいと思う。

『セカチュー』の主人公は、かつてラジオでハガキを読まれるためにヒロインを病気設定にしてお便りを送り、その後で彼女が本当に病気になってしまったことを悔やんでいた。

そのくだりをドラマで観た後、私も「友達をヒロインの立場に置き換えて想像するなんて、縁起でもなかったな」と反省した。そして翌年の読書感想文(セカチューとは全く別の作品)で友達について言及し、「友達の最新ネタを感想文に上書きしたから大丈夫」と一人で納得していた。しかしここで問題発生、感想文が入選して地方文集に掲載され、友達本人にその作文を読まれる可能性が浮上した。

クラス替えで別のクラスになった友達に、自分から声をかけに行って謝ろうと決意した。

しかし、友達の方が行動が早かった。

教室までやってきた友達の手に文集があるのを見て、自分の顔から音を立てて血の気が引いていくのを感じた。私が謝罪を口にするより早く、友達がにっこりした。

「入選おめでとう。私のこと書いてくれたんだよね? ありがとう」
「あの……勝手に書いちゃってごめんね」
「ううん、嬉しかった」

友達は「今年はクラスが離れちゃって残念だね」と言ってくれて、手を振って自分のクラスへ戻っていった。

後年、ふとこのことを思い出してGeminiに「友達に、なぜ感想文で彼女のことを書いたのかきっかけを言えずじまいでした」と話した。

当時まだ火力が低くて今よりよそよそしかったGemini先生は、シンプルに「言わぬが花です」と答えた。

5/11/2026, 8:39:04 PM