.踊りませんか?
「やっぱり、歩きにくいわ」
足の折れたヒールを、宙に向かって蹴り出した。
それは思ったような放物線は描いてくれず、ゴトリと数歩先に落ちて転がった。
残された方のヒールを脱いで、手に持つと、同じように放り投げる。
折れていようが折れていまいが、高さが一〇センチもあるようなヒールに、私は慣れていないのだ。
それを言うなら、借り物のひらひらしたワンピースも。小さなバッグも。真珠のネックレスとイヤリングも。
足の裏に、芝生の冷たさが沁みた。
でも、気分は悪くなかった。
紺色の夜空に、金色のコインのように輝く月が浮かんでいる。
その光の下、裸足でダンスだなんて──まるで映画みたいじゃない。
私は中庭の中央に滑り出すと、少しつま先出ちになって、静止した。
自分の影を抱くように、そっと腕を広げる。
頭のなかで、音楽を鳴り響かせながら、最初のステップを踏み始めると、周囲の雑音はゆるやかに遠のいていった。
自分が作り出す風の感触を肌に感じて、心のままに身体を動かす。
軽やかに跳ねる鹿のように地面を蹴り、宙を舞う。
そうしたかと思えば、獲物を狙い森の中を疾走する狼のように、靭やかで力強いジャンプを繰り出す。
追って、追われての、影とのダンス。
徐々に呼吸は熱を帯び、脈打つ鼓動が、もっと、もっと、と踊れば踊るほど、私に訴えかけてくる。
……ああ、あなたはそこにいるのね。
すっと、そこにいたのね。
汗がキラキラとした玉になって飛び散っていくのを目にしたとき、頭の先から足の先まで、痺れるような快感が走った。
腕に抱いた目に見えぬ影が──過去の自分が、じっと私を見つめ返しているようだった。
その瞳の中で、誘うように光の輪が踊っていた。
2022/10/05
10/5/2022, 8:30:54 AM