鐘の音(憧憬)
夕方になると決まって聞こえてくる、お寺の鐘の音。
わたしが小さい頃から鳴っていたので、それはそれは古くからの由緒正しいお寺さんであることは間違いない。
友達と心ゆくまで遊んで、帰る頃に厳かに鳴り出すそれは“もう帰る時間だよ”と時刻を示してくれているようで、時計を持ち歩かない小学生には有り難い存在だった。
そして大晦日には、近所の人達が並んで鐘を撞きに来る。
―――寒い中、かじかむ手で綱を引き勢いをつけて鐘の音を鳴らす。一度。二度。三度。
昔から続く、日本ならではの風物詩。
それが普通だった。ずっと。………これまでは。
「えっ、辞めた? 鳴らすのを?」
「そうみたいよー。苦情でね」
………。そういえば確かに、最近日が暮れてもどことなく静かだった気がする。あの音を聞いていない。
「新しい家が沢山出来て、そこの若い家族からの苦情かな?と思ったんだけど。そうじゃないみたいね」
「そうじゃないって………」
「昔からお寺を支えてきたお年寄りの一人が、どうにもうるさいって文句つけたらしくって。うちが一番近くて被害がある、騒音だってね」
今まで暗黙の了解でやってきたのにねえ。
―――母の大して気にも止めていない、何気ない言葉にわたしはただ無言になる。
うるさい、って。
そんなの何も出来ないじゃん。
………近頃よく見かける看板には無機質な字体で、
―――ボール遊び全面使用禁止。
―――空き地に子供は入ってはいけません。
なんて書かれている。
そもそも廃家を更地にして公園になっても、予算がないのか知らないが遊具のひとつも置いていない。
………夕暮れ、遊び倒して薄暗い道を友達と自転車を押して帰った。
鐘の音を数え合って、疲れたね、また明日ねって。
―――もうわたしの住むここではその風景がなくなりつつある。都会だからか田舎だからか、はたまた関係なしにそうなっていっているのか。
あの頃の懐かしい声や音や景色は、今でも脳裏に鮮やかに蘇るのに―――それを再現する手立ては今やもう、失われて等しかった。
END.
8/6/2024, 7:06:54 AM