古い切り株の上に置かれた林檎を見て、ここには木があったのだと貴方は言った。私はその木がまだ生きていたころを一度も見たことがなかった。嘘かもしれないと思いたかったけれど、谷間の絶壁を叩いて笛の音のように響く風の呻きが切実だったから、そこへ根ざすことにした。
深い雪が素足へ染みこむようにして体温を奪う。貴方はただ黙っている。私にそんなことを頼んだ覚えはないとでも言うように、透明な愚かさのかけらをここへ埋めていこうと考えている、それ自体がもう手遅れなのだとわかっていながら、私を墓標にしたがっている。それならどうして林檎を置いたのか話してほしかった。風で乾いた貴方の唇がひらくのを待っていたから、聞きはしなかった。
私ではない誰かなら見たかもしれない枝から、赤い果実がしなだれ落ちて、どさりと雪が抉られる音がした。あるいは、枝葉に降り積もった雪が落ちただけかもしれなかった。どちらにしろ私はもう振り返ることもできない。貴方の足跡が吹雪の奥へ遠ざかっていっても、また帰ってくるのだろうと静かに考える。私は木になる。いつか山風に吹かれて折れてしまうだろう、細くてかよわくて、いのちかどうかすらも曖昧なひとつのもの。
それでも風除けぐらいにはなれるだろうか。この身がいつか透明になり、風が涙を凍らせる日を私は知らない。
(吹き抜ける風)
11/20/2025, 7:24:57 AM