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創作というのは、想像の翼を羽ばたかせる事から始まる。

僅かなきっかけから、書きたいという気持ちの風に乗れば、軽やかに想像の世界を飛ぶことができる。

こうなれば、物語の方向性や結末に至るまで、自動運転の車に乗ったも同然で、作者は物語の結末までただ身を委ねていれば良い。風から落ちそうになった時だけ翼を羽ばたかせれば他に心配はない。

しかし、想像の翼というのは気まぐれなもので、スイスイと物語の世界を飛ばせてくれる時もあれば、何が悪いのか、全く飛べず、すぐに失墜してしまう時もある。

そんな時、風に乗ろうと強情に翼を羽ばたかせ無茶をすると、飛び上がっては墜ちを繰り返した為なのか、酔っ払いのような怪文書が出来上がる。

どうして同じ翼なのに、飛べる時と飛べない時があるのだろうか。

飛べる時というのは、前述したが自動運転に乗っている状態だ。だから、作者の意図はあれども、その通りになろうがなるまいが工程の景色を楽しんでいるだけしかしていない。かたや飛べない時というのは、余計な事を考えている時が多い。

例えばまだ作品が出来てもいないのに、「コレを読む人はどう思うだろうか」や「評価してもらえるだろうか」、「楽しんでもらえるだろうか、伝わるだろうか」などなど。

ここにあげられた言葉の多くは、作品を作るうえで別に悪いものではない。

しかし、自動運転の翼からすれば黙って乗っていてくれない人間は邪魔なのだろう。だから、振り落とす。
振り落とされた人間はその事にも気付かずまた飛ぼうと躍起になるが、作者を置き去りにした翼は既に遥か遠くだ。
作者は翼が無くなった事にも気づかず飛び、自然の理によって地面に堕ちる。
ただ、ただその場でジャンプしているだけであることも気付かず、挙句の果てには翼が飛べなくなったとすら言い出すのだ。

飛べない翼─ではなく、翼に置き去りにされ、翼が無くなっただけに過ぎない。

軽やかに想像の世界を飛ぶコツは
心の赴くまま、余計な雑念(イシュー)は無視。
無邪気な子どものようである事が正解のようだ。

11/11/2023, 11:26:23 AM