ばに

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 書かない期間が5ヶ月ほどありました。
 できるだけ違う文体で、キャラクターで、方向性で、決められたお題の中、多角的に書く練習をしようと始めたものの、実はそれほど書くことが好きではないのかもしれないなと、いらんことに気づきつつあり。
 「できる」と「好き」の違いから、ずっと目を背けてきた人生でした。

 先日、業務関連で書いた文章に高い評価をいただき、やはり書くことが得意ではあるのだという実感を得ました。
 一方で、書かなくても生きていける、必須では無いということも、空白の5ヶ月が証明しました。沸々と煮えたぎり、どろりと溢れるような情熱が、わたしの根底には無い。感情の発露も、衝動も無い。書かなくても、なーんてことはなかったのです。あーあ。
 過去に一度でも、物語を完結させた経験があったか?そもそもそれが無いので、こんなことを考えるまでもないというか、わたしは一体何を根拠にしがみついていたのだろうと、もはや不思議ですらあります。
 いや、不思議ではないか。心当たりはある。

 父はアマチュア劇団に所属していて、時々は脚本も書いていました。定職に就かず、印税生活を夢見て、ワープロに向かっていた背中を覚えています。
 一度だけ、設備の整った会場で、10人以上の役者と、ミュージカル劇を催したことがあります。わたしもそれを観ました。もう20年以上前の話ですが、その時の記憶はかなり鮮明です。記録用に撮っていたビデオを何度も観たので、今でも劇中歌を口ずさむことができます。覚えているセリフもあります。
 もともと、幼稚園のお遊戯会や、ピアノの発表会が好きなタイプの子どもだったので、演劇の世界には大いに魅了されました。将来はこの世界に行きたいと思ったこともありました。役者にも憧れましたが、何よりひとつの世界を創り上げるひとになりたかった。演出家、脚本家、目指すものに何が合致するのかもはっきりとわかっていませんでしたが、これがお花屋さんやパティシエになりたい気持ちと、また少し違うものであることは自覚していました。
 そんな夢も、進路相談で母に言われた「そんなことしてなんになるの?」ですっかり萎んでしまったのですが、萎んでしまうほどの訳が、それまでの十数年にはあったのです。
 結局のところ父は、夢に向かって努力することの尊さを、わたしたちに見せることができませんでした。彼は劇団を喧嘩別れで離れ、その後は執筆もせず、どの仕事も長続きせず、怠惰に生き、生活習慣から大病を患い、その人生と家計の全てを母が支えることになりました。わたしが夢について話したとき、母が何を思ったかは想像に容易く、わたしには返す言葉もありませんでした。それを覆すほどの自信も。
 母は時々、わたしに対して「書く才能がある」と言います。父と違って、それがあると感じるのだそうです。しかし、それはあくまで趣味や副業としてするものであって、本業にはなり得ぬものだと。
 わたしは宝箱に燃え滓をしまっている。

 書くことはできる。書いてなんになる?好きではない。嫌いでもない。好きだったかも。書くのは楽しい。書くのはつらい。できるけど足りない。足りない。気持ちが足りない。
 だって、「桜」なんてお題、なんでも書けそうなのに、なんにも思い浮かばないもの。
 わたしの名前はばにです。ばには馬肉のばにです。近所の川沿いで桜が満開になると、花見を口実に母を呼んでしまいます。桜はそれほど好きではありません。



「桜」

4/5/2025, 8:02:43 AM