どうするの~、これ?彼女はそう言いながら、わたしの眼前に掌にはやや余る程度の長方形の紙を翻してみせた。
どうするも何も捨てたらいいじゃない、そんなの。ただの紙屑じゃ――じゃあ!ボクが貰っちゃうけど!いいよね、ね!彼女は幾分かの力を込めて言い切ると、わたしのことなど構わずに紙面に目を落とした。ねぇ、これすぐそこだよ。
差し出された紙面を覗くと、確かに今わたし達がいる学校に程近い住所が書かれている――とは言え、大部分の文字が濡れて掠れてしまった券面には辛うじて大書きの「館」の文字と件の住所、それから赤色の「ペア」の語が読み取れるばかりだった。
せっかく拾ったんだから有効活用だよ。夕暮れの路地を歩きながら彼女は言う。拾ったって言っても玄関先に風で飛んできただけよ。そんなことより、もうすぐそこだよ、なんかの館!
宅地には不釣り合いな急峻な坂を上りきると、少しく瀟洒な居ずまいをした、和洋折衷の屋敷があった。すっごい、お洒落!モダン、だよね!息を切らすわたしの方を顧みながら、彼女は何とも愉しげに言い放った。誰もいないし、入っちゃおうよ――言うが早いか、勝手に扉を開け、彼女は建物の中へと入っていく。
へぇ~。彼女はいかにも気のない顔をして歩いている。勝手に入って怒られたらどうするのよ。屋敷の中はこの辺りの気象観測に功労のあった気象学者に関する展示物が陳列されていた。顕彰を目的とした記念館というやつだろう。チケットあるんだから大丈夫だって。彼女は言いながら、一つの展示の前に立ち止まった。
覗いてみると、ガラスケースの中に数通の手紙が収められている。なあに、それ?さあ?言いつつ、二人揃って周りを探してもそれらしい解説はなかった。
――それはラブレターだね。
突然、背後から男性の声がした。驚きの余り、黙ったまま硬直する。しかし、ガラスケースに反射して半透明になった声の主が視界の隅に見える。わたしたちが慌てて無礼を詫びると、館長――と彼は名乗った――は、世間話から説き起こして、施設のことやら学者のこと、それから件の展示物が投函されないまま学者の机から見つかったのだということを教えてくれた。
すっかり遅くなっちゃったね。きっと退屈だったのだろう、彼女はあくびをしながら言った。わたし達は礼を済ませると館の外へ出た。不思議なことに未だ街は夕照のまどろみの底に沈み込んでいる。しばし、その光景に見惚れていると、開けたままだった館の扉の向こうから、柔らかな風が吹き寄せて来るのが感じられた。振り返ると、扉がゆっくりと閉まっていくところだった。ねぇ――今あの屋敷の中、何もないように見えたんだけど、わたしは言いかけた言葉を呑み込んだ。それに、明かりさえなく、窓も割れていたように見えたのは気のせいだったのだろうか。ねぇ、早く帰ろうってば。わたしの思案などお構いなしに彼女はわたしの手を引く。お腹空いたな~。
家へ着く頃には、黒々とした空に満月の光が白く輝いていた。玄関の扉に手を掛けたとき、足元に一通の封筒が落ちているのに気がついた。暗夜の街に、ただ木の葉が風にそよぎ擦れる音だけがする。
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風に乗って
4/29/2023, 5:04:18 PM