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"1つだけ"

「先生、最後に1つだけ言わせてよ」
太陽の日が照らす静まり返った放課後の教室。
ここの数階下にある校庭から小さく聞こえる運動部員達の楽しそうな活発な声が耳に入る。
「いいよ、幾らでも言いなよ。」
赤いペンでテスト用紙に丸をつけながら、岩城先生はそう言った。
「ううん、1つだけでいい。」
私は紺色の長めのスカートを揺らし、座っていた机から一度降りる。
とんっと音を立て、私が黒板の方に向かって早足で歩くと少し軋む床。先生は椅子を傾け、私に顔を向けた。
「…私の話し相手になってくれてありがとう」
窓の外では風が吹き、綺麗に花を咲かせた桜がふわっと宙に舞っていた。
私の言葉を聞いた先生は嬉しそうな、でもどこか悲しそうな表情を浮かべた後、綺麗な花束と、私の名前が刻まれた卒業証書を渡してきた。
「…こちらこそ。」
先生の瞳が小さく揺れた、ような気がした。

私は直接手で受け取ることはできない。

先生はそっと立ち、花瓶が置かれた私の机まで花束と卒業証書を持って歩いた。
「これでもう終わり、かぁ…」
私はもうとっくに普通の人間では無い。

卒業式が行われるほんの数週間前だった。
私は登校中、飛び出してきたトラックに撥ねられ、そのまま意識を失った。

気づけば私は教室の自分の席にいて。
先生だけが、私の姿を"見る"ことが出来た。

今日が終われば、私はきっと消えてしまう。

誰に言われた訳でもないのに、何故か直感的にそう感じとった。
すると先生は、スカートから下、足が薄く消えかけている私を見て、一言だけ呟いた。

「卒業、おめでとう」

たった1つだけの言葉、それだけで嬉しかった。

「ありがと…、」

拙い言葉しか出てこないが、もうそろそろ時間だろう。私が校庭の方をふと覗くと、もう部員たちは帰る準備をしていた。
「ほら、下校時間だよ」
目に涙をうかべる先生。
そんな先生を見て、私は最後に1つだけ返事をした。

「またね、先生」

「結局1つだけじゃなかったな、全然良いけど。」

誰もいない教室でただ1人、先生だけが微笑んでいた。

4/4/2023, 4:10:14 AM