顔に絶え間なく当たり続ける水滴に意識が覚醒する。
「ここは…どこだ…」
アキラの視界には四方を囲む木々と、その間から薄暗い空が広がっていた。
頭を左に向けると、妹のヒスイが寝巻き姿ですうすうと寝息を立てていた。
アキラもヒスイも濡れ鼠の状態で、もともとそれぞれの部屋で寝ていたはずだ。
上体を起こし、周囲をぐるりと見回す。
四方は遺跡のような、崩れかけて、アキラの膝下程度の高さの壁、それ以外は鬱蒼とした木々に囲まれ、下は草の生い茂る地面だった。
ただ事では無いと思い、アキラらヒスイを揺すって起こす。
「おい、おい…ヒスイ、起きろ」
周りがよく分からない状況のため、自然と小声になる。
「ん…なに…」眠そうに瞼を開けたヒスイに少しほっとする。「え…ここ…え?」
ヒスイの声は困惑していた。
「俺も分からない。さっき起きたけど、気づいたらここにいたんだ」
「さむ…どういうこと…?」
濡れた身体を暖めるように自分の腕で抱え込む。
「ともかく、周りを確認してみよう。立てるか?」
アキラは立ち上がると、少し膝を曲げてヒスイに手を伸ばした。
左手は身体を抱いたまま、ヒスイはその手を取って立ち上がった。
起きた場所を起点にして渦を描くように、徐々に確認範囲を拡げたが、見知った場所はおろか、人里のようなものも、森の切れ目も無かった。
その頃には雨も止んだが、慣れない裸足での行動や、雨に濡れたことによる体温の低下、異常な状況における緊張で、特にヒスイの体力の低下は著しかった。
「お兄ちゃん…さむいよ…」
背に担いだヒスイが左耳そばで弱々しく呟いた。
「ともかく、休めるところがあれば…」
アキラはゆっくりと宛所なく歩を進めた。
と、向こうから、がさと音がしアキラは身構え、叢から出てきたものを見て驚愕した。
鋭い一対の鋏角、複数ある漆黒の眼、少しずんぐりとした、身体に対しては細い脚…蜘蛛だ。しかし大きい。ゆっくりと全貌を顕したその蜘蛛は体高がアキラの腰くらい、体長もアキラの身長かそれ以上あるだろうか。
どこを見ているか分からない。
分からないが、アキラは本能的にこちらに狙いを定めた事を悟った。
-まずい
大きさ云々は今はどうでもいい。
アキラは出来るだけ刺激しないよう後退る。
背中から、どん!という衝撃。
まさかと思い右肩越しに背後を確認すると、いつの間にか、忍び寄っていたもう一体の蜘蛛が、ヒスイに接触しているようだった。
「う、うわぁぁぁ!!」
アキラは堪らず走り出した。
ずるりという嫌な感触。
きっとさっきヒスイに牙のようなものが刺されていて、それが抜けたのだろう。
前方の蜘蛛に捕まらなかったのは僥倖だが、後ろから二体が追ってきているのがわかる。
「なんだよ!なんなんだよ、ここは!!」
叫びながら我武者羅に走る。
小石や枝が素足に食込み、刺さる。
それでもアキラは走り続けた。
黒い何かが横を通り抜ける。
え、と思わず停止して、振り返る。
“それ”は鎌鼬のように二体の蜘蛛の頸に巻きついたと思うと、次の瞬間、ぼと、ぼとと蜘蛛の頭が落ちる。
唐突に頭を喪った蜘蛛の身体は、そのまま慣性に従って進み、アキラの両脇の地面に滑り込んで止まった。
呆気に取られるアキラには、外套のようなものを全身にまとっている“それ”が、ちょうど光を背に受けて影にしか見えなかったが、すくなくとも、すぐに危害を加えてくるようなものでは無いことも理解できたのだった。
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※逆光のテーマです。
1/26/2024, 3:58:19 PM